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No.05 大学とのやりとり2

②『佐世保市、「針尾送信所」の世界遺産暫定リスト入りを目指す活動のまとめと考察』

1通目 
 世界遺産検定マイスター取得前より、長崎県佐世保市の観光協会・保存会・地元教育委員会文化財担当者とは連絡をとっていました。現在重要文化財のこの物件を将来、世界遺産暫定リストにするための活動の記録と、それに伴う考察をまとめていきたいと考えています。
 10年かかるかもしれません。しかし、そのための方法や手続き、推薦書、進めるにあたっての活動報告やそれに伴う考察は、今後の指針になるよう論文にしていきたいと思っています。

2通目 
 理由と社会的意義ですが、2023年12月の世界遺産検定マイスター受験組にとっては、すでにロシア・ウクライナ紛争はありました。さらに勉強途中でイスラエル・ハマスの紛争が始まりました。
ウクライナのオデッセイの歴史地区の文化財保存の論文を書いている時に、新たな戦争が始まってしまい、自分のやっていることの虚しさや非力さを強く感じ、受験勉強の意味そのものに疑問を持つようになりました。
 
 「針尾送信所」に注目したのは、戦争遺産でもあり、建築物としても大変貴重なものであるということで考えました。スウェーデンの「ヴァールベリのグリメトン無線局」は、鉄骨でできていて、第一次大戦で使用されたこと、対して、針尾送信所はコンクリートで今も頑強に立っていることに注目しました。また、負の遺産や記憶の場はあるものの、戦争被害の色が濃く、こんな残忍なことをされました、しました、が理由になっています。

以下の文は不確定な内容です。⇒針尾送信所は「ニイタカヤマノボレ」を打電したと言われており、太平洋戦争の始まりの遺産だと考えています。戦争の始まりを世界遺産にすることは人類のこれからを考える意味で無駄ではないと思っています。

3通目 
 現在の感想です。世界遺産は地元住民、首長らが動き世界遺産を目指すのが理想です。もし本当に私も目指すなら、佐世保市に5年ほど移住し、長く考えねばならないと感じました。さらにプレミリナリ アセスメント導入により認定まで4年かかる時代が来ます。私は暫定入りさせることが目的ですが長い目も必要です。大学での研究とは異なるかもしれません。

最後に
 佐世保市長とは話せませんでしたが、秘書の方とは話しました。最後に文化財の方と話したのは、
「今、地質調査しています。それに数年、その後方針を決めていきます。佐世保市はすでに世界遺産を保有していますので、ノウハウはわかります。地元で国宝を目指すのであれば国宝を目指します。世界遺産を目指すなら、20年のスパンで考えています。例えば、5年後に動き出したら、必ず連絡します。」とのことでした。(社交辞令かもね)

また
文化財の方は45歳で、私の代では無理だと思いますとのこと。なら私はもっと無理かー!

 問題は交通の便の悪さです。ハウステンボス駅から、タクシーかレンタカーらしいのですが、シャトルバスは?とかマイスターっぽい答えを言ったのは私でした。バスの購入金額は?ドライバーは?給与は?所属は?公務員で?など、課題が次々にでてきて、「すごい臨場感!世界遺産を目指すのってこうゆうことか!」と思いました。いろんな事をひとつひとつ解決して先にすすむんだなと。机上で学んだだけの私がいかに薄いかが、わかりましたし、すごく貴重なやりとりの経験でした。

あのやりとりは、今の私にとって宝物になりました。

練習をいっぱいして、やっと代打で打席にたって、ファウルのち空振り三振というイメージです。初の実践、楽しかったー!

長崎県佐世保市の方、優しくてしかも真剣にやりとりしてくださって、ありがたかった。感謝です!

今回は長文に付き合っていただきありがとうございました。

「針尾送信所」を世界遺産の暫定リストへ押し上げる、は私の夢のまた夢となりました。涙涙です。
(´;ω;`)

つづく
次は「大学とのやりとり3」です

#長崎県    #佐世保市  #針尾送信所   #針尾送信塔  


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