究極のテーゼと自我

【人生論的考20240623】
『私の究極のテーゼと自我』

私の人生において、思索と執筆活動を社会的な場で為し得るチャンスを30代前半に与えられた。とある事で出会った大手の出版社「新潮社」の有力な編集者から、本を書きませんかとオファーを頂いたのだ。学生時代から世間に知られる場で己の思索と執筆活動を展開したいと希求していた私には、またとない絶好のチャンスだった。
が、幾つかの理由で、そのせっかくのオファーを辞退してしまった。

思索と執筆活動を私が、それを生業とする道を選択しなかったのは、幾つかの理由からだった。
その一つは、「自由」に、己の思索と表現を行いたいということ。
職業、すなわちそれで生計を立てるとなると、諸々の規制や制約に妥協することを余儀なくされるのではないかという現実的な問題がある。
著名な言論人が今一つ、奥歯に物が挟まった物言いにとどまっている事実を度々目にしていたが、その理由は彼らの思索の未熟さによるのではなく、メディアの側の圧力によるのだと弁明がされることに鑑み、持論を展開し切るには、思索と執筆活動を生業にしないほうがいいのだなと当時考えていたのだった。

また一つは、学生時代から、私は「芸術家」もしくは「思想家」になりたいという願望を抱いていた。
当時自宅で進学塾とも補習塾とも異なる独自の学習塾を営んでいて、ある事件がきっかけで新潮社の有力な編集者と出会ったのだったが、そこでオファーをいただいたのが、「教育実践」の本だった。
私は、当時の文部省にも、対立する日教組にも、もの申したいことが数多あったのだが、しかし、私の教育実践は、純粋に「教育」というジャンルに属するものではなかった。

学生時代からの思索と執筆活動のテーゼはただ一つ。
私は、当時から「愛と平和」を希求し、「人間の尊厳・個の尊厳」を希求しており、私の教育実践は、その位相において為されていたものだった。

「人間は、如何に<アウシュビッツ>を超克し得るか? また日本人は如何に<大日本帝国主義>を超克し得るか?」というテーゼを抱えていたのである。

それゆえ、「教育」というジャンルに属した思索と執筆活動、とりわけ「教育実践記録」にとどまることに正直気が進まなかったのだ。

いや、今思えば、無名の一介の町の私塾経営者にとって、日本を代表する大手の出版社からオファーをいただけるのは、生涯に一度あるかないかという「世に出る」絶好のチャンスだったわけで、それを逃したのは、「若気の至り」とは言え、その後の私の社会的存在の事実を鑑みるに、人生最大の失策だった。

「アウシュビッツと大日本帝国」を超克する大命題と、日々の教育実践を紐づけることは、今から思えば具現化できない話ではなかったのだが、当時の若い私は、そこに気づけなかった。
「教育評論家」という肩書きがつくことに気が進まなかった。
今にして思えば、「芸術家」ないし「思想家」という肩書きに拘り過ぎていたのだった。
そうした<自我>の営みが選択の過ちを生み、以降、社会的に存立し得ずにこんにちに至っているという次第である・・・。

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