<非暴力>の「市民革命」を求む!

【哲学的思想問題考20240716】
『<非暴力>市民革命の具現化を求む』

ハト派リベラルと思われていて、タカ派で反リベラルであり公的権力を私物化して私腹を肥やし民意を無視して強権政治を進めていた安倍政治とは一線を画し、穏健で良識ある民意を反映した政治を行ってくれるのではないかと期待された岸田政治だったが、今や、「聞く力」どころか民意を徹底的に無視し、「戦争のできる国」から「戦争する国」づくりに邁進する岸田首相。このままでは、憲政史上最悪の首相という汚名を被されることになるだろう。

その愛と平和を希求する人たちばかりか、多くの「健全保守」を求める国民にとっても想定外の悲惨な地獄絵を描きかねない岸田政治を終焉させるには、どうしたらよいか。

一つの選択肢としては国民の保守層に人気の高い石破茂氏の総理総裁就任がある。私も、今の自民党政治家のなかでは、近年の石破氏の発言を聞いていて、その立ち位置には理解をもつのだが、果たして、岸田首相よりさらに弱小の党内勢力に過ぎない石破氏に、小泉・安倍・菅そして岸田と続いてきた「保守本流」とは異なる金と保身と強権といかがわしい統一教会との歯止めのない癒着に汚れ毒されている今の「弱肉強食」思想の自民党政治を終焉させる力の行使を期待し得るだろうか。
単に、また政権が変わっただけで「政治の変革」は望めないのではないか。既得権益勢力が未だにエゴイズムを反省し今までの生き方を悔悛しておらず、国民が怒りを諦め、忘れてしまうのを期待し、またぞろ金と保身と「売国」的な政治を続けようとしている現状では、それこそ「誰が首相になっても政治は変わらず」という俗論をくつがえすことはできないだろう。

それこそ石破氏が、自民党組織の殻を打ち破って、保守層の国民ばかりか、支持政党無しという無党派保守層の国民と連帯するという勇気ある決断をすれば別であろうが、そこまでの度胸と覚悟を彼に求めるのは無理ではないだろうか。

が、とは言え、組織としての連合との縁を絶ちきり、連合組合員ひとりひとりと国民のひとりとしての縁と繋がりを求め、広範な支持政党無し無党派非保守層・反保守層と連帯すべき立憲民主党にも、その勇士が出現することが期待できず(蓮舫氏がその可能性をもっていたわけだが、自民党および今や自民党の補完勢力に堕したマスメディアの巧妙な選挙戦略の前に彼女のキャラへの反発もあって敗北してしまった)、あとは、小沢一郎氏が提唱しつづけている野党共闘(立憲・共産・社民・れいわなど)に期待するほかないのだが、それがどこまで悪質な選挙妨害が横行するなか、力を発揮し得るのか、甚だ心許ないのが現実ではないか。

そういう現実政治の世界をみていると、殆ど絶望的な溜息を吐くしかあるまい。
この歴史的危機に陥っている現状において、この腐れ切った政治を根本から刷新するには、私が何度も言っているが、やはり<非暴力>による「市民革命」を希求すべきではないか。

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