『<反日と愛国>』とは、何か?



【哲学的思想問題考20240616-1】

『<反日と愛国>』

保守派や右派から、<反日>だと決めつけられる人たちは、いわゆる「左翼」ばかりか、この安倍政権以降、「非左翼リベラル」の人たちにも及んでいる。

その<反日>という言葉は、「共産主義」思想を共有している場合はもちろん、昨今では、かつての「大日本帝国主義」に批判的であったり、具体的な問題としては「南京大虐殺」を批判したり、「従軍慰安婦」を事実として認定していたり、挙げ句は安倍元首相を批判したりするだけで、「おまえは日本に対して愛国心がない、<反日>だ」と浴びせ掛けられる。

私は常々そこに「違和感」を感じていた。

二つの側面で。

・<反日>とされる人は、実は、<愛国>なのではないか。

・<愛国>を自認する人は、実は、<反日>なのではないか。

過去の歴史の汚点を頑なに認めず、仲間内だけで開き直る在り方は、国際社会から「日本という国、日本人は、コンプレックスに満ちた卑劣な国であり民族だ」と<軽蔑>される在り方であり、一方、事実を直視、真摯に心から反省し謝罪し償うことを是とする在り方こそ、日本と日本人を、国際社会において「過ちを率直に認める謙虚さと誠実さと勇気をもつ国であり民族だ」と、真に<尊ばれる存在>たらしめる在り方だと、私は認識するのである。

・「過ち」を認めることは、「恥」を<晒す>ことではなく、決して「自虐的」思想・態度などではない。

・寧ろ、「罪」に目を塞ぐことこそ、安倍元首相が繰り返し発言していた「恥ずかしく、みっともない」ことそのものではないか。

ことほどさように、世界に日本人の美徳を広める人たちこそ<反日>ではなく<愛国>であり、逆に世界に国と国民の恥を晒し名誉ある地位を得なくし貶める人たちこそ<愛国>などではなく、<反日>と批判されて然るべきなのではいか。

<反日>と<愛国>を定義づけるとこういう事になるのではないと、今、私は考えているのである。

わが愛する「祖国日本と日本人」に、幸と栄光あれ!

*追記

・いざとなったら日本を守りはしないであろう米国に従属し盲従する偽<愛国>主義こそ、<反日>であり、<売国>と言わねばならない。

・裏で私腹を肥やすことに熱中していながら、「美しい日本」を叫び<愛国>を主張する政治家たちなど、言語道断・論外の欺瞞的存在である。

こうした「偽」<愛国主義>者の彼らに騙されてはいけない。



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