「市民による市民のための市民の政治」

【哲学的思想問題考20240705】
『政治の危機の<超克>と市民革命』

ここで言う「政治の危機」とは、マスメディアや自民党議員が言うものとは異なる。くだんの「政治危機」は、もちろん裏金問題や統一教会との癒着をはじめとしてモリカケ問題等安倍政治に象徴的な「自民党政治の危機」であり、「自民党」という一政党の危機である。それをあたかも立憲民主党や共産党なども関係する「政治」の危機であるかに装うのは実に卑劣だ。

今、日本が直面している<危機>は、マスメディアが印象操作し誘導している「次の総理大臣は誰がふさわしいか」と言って、石破氏をトップに自民党政治家が並ぶが如き「内閣交代」によって<超克>できるものではない。それを言うなら、「政権交代」である。
自民党について言うなら、「解体」する以外に道はないと考えるべきだ。

小沢一郎氏が、twitterで繰り返し指摘しているとおり、自民党政治家は、国民の怒りが時間の経過とともに徐々に弱まって来て、数々の不祥事を忘れていくであろうと嵩をくくっている。せいぜい首相の首をすげ替えればこの難関は切り抜けられると踏んでいる。自民党政治家は、決して本気で反省などしていない。自民党は変わらない・変われないところまで腐りきっていると言わねばならぬ。

ただ問題は、その先にある。
自民党が解体したとして、それでは政権はどこが担えるのか?
ごく最近の世論調査においてまた各種選挙において、立憲民主党と共産党が好結果を示している。
それは、「現実政治」という位相においてみるならまことに嬉しいというか、ひとまずホッと安堵するところではあるだろう。ただ、この民意が、国会議員選挙に反映するのかどうか、まだ予断を許さない。

・「自民党の不祥事が、左翼であるマスメディアの偏向報道で過剰に批判されているが、公平にみれば、自民党は野党より信頼でき期待できる」論
・「自民党はダメだけど、野党もダメだ」論
・「政治はだれがやっても同じ、変わらない」論
・「連合に支配され忖度している立憲民主党にも期待できない」論
・「共産党が与党になるのは受け入れ難い」論

これら諸々の意識・感情・思念がまだまだ根強く根深くある「民意」が、その限界を突き破って、「政権交代」を具現化し得るのかどうか・・・。

一選挙民としては、立憲民主党と共産党と社民党とれいわなどの野党勢力が結集してぜひ「政権交代」を実現してほしいと願うのだが、ただ、そこで一つ注文がある。

今私は、「一選挙民」と言ったが、その今市民の間で急速に、そうした一選挙民の集合体としての言わば「市民連合」が芽生えてきている。
実は、先の「立憲民主と共産・社民」らによる与野党一騎打ちで自公候補が負け続けている背景にあるのは、これら既存の野党への支持が急増しているという話ではないのではないか。
なるほど世論調査において立憲民主党と共産党の支持率は上がってはいるようだが、しかし、本当は、政党そのものへの支持というより、その背景には、言わば「市民連合」を願望し期待している市民が生まれてきているのではないか。

或いはまだ国民全般からすると、ラディカルかもしれないが、たしかに、言わば「政党」を超えて「市民」の結集を待望する機運が生まれてきているように、私には思えるのである。

そこで特に立憲民主党に注文しておきたいのは、そうした「目覚めた市民」の声をしっかりと認識してほしいということだ。
単に、支持政党の変化という位相で捉えるのではなく、その底辺では、言わば「市民革命」と称すべき意識・感情・思念が今まさに生まれつつあると認識すべきではないか。

そうした時代の大きな潮流が生まれつつあるとの認識のもとに、自公政権、そして維新や国民民主などの自民党補完勢力と戦ってほしいのである。

今立憲民主党を支えているのは、決して「連合」などの組織ばかりではなく、思想潮流として結集し具現化してきた新しい「市民連合」であることをそれと自覚してほしいのだ。

本当に、こんにちの日本の政治の深刻な停滞に鑑みるに、単なる政権交代」ではなく、「市民革命」と称すべき構造の根本的変革を求める或いはラディカルな市民の声が生まれてきたことを決して軽視してはならないと私は思うのである。

蓋し、今、日本の政治は、「自民党解体」どころか、「政党解体」さえ視野に入れた「市民革命」が、状況の<根本的超克>を求めるならば、起きても不思議ではないと。
そこまでの<危機>があり、そこからの<根本的超克>を、「市民による、市民のための、市民の政治」によって具現化し成就すべき大きな時代の岐路に立っていると捉えるべきではないか。

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