『異論反論との対話の実践』
【哲学的思想問題考20240626】
『異論反論との対話の実践』
人は、ある事象に対して、既存の情報により知識と思念と判断を予め持っているものだ。
その既成事実と大きく異なる言論や感情に直面すると、まず、動揺と衝撃が走り、自己防衛意識が働く。
それは、やむを得ない話ではないだろうか。。。
ただ、問題はそこから先にある。
その己が抱いていた既存の認識や思念や感情と異なる見解に対して、立場の相異を以て、「分断」と「敵対」の関係に陥るか、それとも、他者が示した情報や見解に対して、当の本人にその根拠を明示することを強く求めるにとどまるのではなく、自ら、「真実の究明」という行動を取るのか。
「異論反論との対話」をテーゼにもつ私は、当然、後者でありたいと思う。あらねばならないと思っている。
その時、デカルトがそうであったように、また「構造主義」ではないが、いったん、自身の認識や思念や感情を白紙にして、ニュートラルな位相に立つことが大切だと思う。
その自由な態度により、偏見と思い込みから解放されることが可能となるであろう。
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