実存主義哲学と日本の政治改革

【哲学的思想問題考20240709】
『パリの五月革命と実存主義哲学の衰退』

フランスの五月革命(ごがつかくめい)は、1968年5月に起きた、フランスのパリで行われた新左翼主導の一斉蜂起の開始から、翌月の議会選挙で シャルル・ド・ゴール政権への多数派国民による支持が判明し、急速に鎮静するまでの期間を指す。 五月危機ともいう。

---かつて上記のような出来事があった。
「新左翼主導」とは、哲学思想のうえでは、サルトルが提唱した「実存主義哲学」のことだ。換言すれば、「五月革命」を思想的に導いたのは、マルクス主義とそれに共鳴した実存主義哲学だった。人という観点でみるとき、かのサルトルが知識人のリーダーとして運動を牽引したと言われている。

そのため、上記のとおり、「五月革命」が敗北したと同時に、サルトルも、実存主義哲学も、<権威>を失い、衰退の道を辿ることになった。

そこで登場したのが、レヴィストロースであり、彼の掲げる「構造主義」である。
彼とその哲学思想は、サルトルと実存主義哲学を厳しく批判したわけだ。

たしかに、サルトルと実存主義哲学は、「五月革命」の<挫折>という敗北に喫した。
そこで、実存主義哲学とサルトルは、<無力>なのではないか?
事実<無力>なことが証されたとする挫折感が生まれ、否定的評価がくだされた。

だが、その後の歴史が明らかにしたように、レヴィストロースと構造主義は、挫折感・敗北感に苛まれ、権力の暴走に対して、<抗う>ことを放棄してしまった。明らかに、「保守化」し、「転向」したのである。
その歴史的事実を鑑みるに、あの時、別な問いと認識が生まれても良かったのではないか?

すなわち、実存主義哲学思想によっても、なお「革命」を成就し得なかったが、それは「敗北」ではあっても、「原因」ではなかったと。
原因論ということで言えば、実存主義哲学思想よりさらに強固な「保守思想」が顕著になったことによる敗北だったのではないか?

そして、実存主義哲学思想とサルトルを<止揚>する新たな哲学思想が求められ、見出されなければならないのでないか?
サルトルとその哲学思想の「限界」を見据えて、しかしなお「権力」と対峙し、<抗い>、<打倒し得る>新たな哲学とリーダーが求められているのではないか?

そうした認識に立つならば、実存主義哲学とサルトルそのものを<否定>するには至らなかったであろう。
限界と欠如を厳しく検証するも、その存在を<継承>しつつ、それを<止揚>する新たな「弁証法的」哲学思想が希求されたであろう。

今、私たちは、一昨日の都知事選挙結果にみられたごとく、理不尽と不条理、無知と詭弁という事実に直面している私たち日本人において、状況を<超克>した「哲学思想」を生み出さなければならない。

そこでは、それこそ「構造主義」哲学が発見した事実認識を踏まえ、が権力が喜ぶような「御用哲学思想」といった<ニヒリズム>を超克した新たな哲学思想を私たちは希求し手にしなければならないだろう。

その時、サルトルとその「実存主義哲学思想」は、ひとつの原点であり、源流となるのではないか---そう、私は考えるのである。

【追記】
・「ひとり街宣」現象は、その一つの証左となるだろう。
・選挙における組織票の不条理も批判されるべきだろう。
・退廃的で既得権益勢力に堕したマスメディアの在り方も問われるべきだろう。
・野党も含めた政党と政治家の在り方を、根本から見直すべきだろう。
・「直接的民主主義」への移行も、視野に入れるべきだろう。

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