桜門杯 原稿

そういえば原稿アップをしてなかったですね。
需要があるかは不明ですが、上げておきます。
ちょくちょく、本番から日がたった僕より注釈があります。



演題「介」(読み方は”たすく”)


タスク。

やらなければならないこと。

大学三年生の僕にとってのタスクは、

就活であった。

夏休み、ゼミの教授の紹介で、

インターンに行った。

インターン先は障害者福祉施設。

障碍者福祉施設とは生活介護や就労支援などのサービスを提供してる施設のことだ。

この業界では、施設の設立に際し、苦労が多いそうだ。

その苦労こそ、「施設コンフリクト」という問題である。


コンフリクトとは、対立・葛藤・摩擦・紛争を意味する言葉である。

 

 

施設コンフリクトは、施設が設置されることに対して、地域住民が反対運動を繰り返す現象を指している。


施設を作る際に、住民からの反対運動が起きた。

といえば、2018年の南青山での児童相談所を巡る反対運動が思い浮かぶだろう。
(本番から日がたった僕より注釈。南青山での反対運動事件は、僕が一年のときに先輩と散歩しながら話した問題だったりする。弁論中に入れようかと一瞬思ったが、流石にくどすぎて辞めた)

住民説明会での

「青山に児童相談所を作る理由はあるのか」

「非行少年を預かる施設だとは聞いてなかった。不安だ」

等の発言を覚えている人も多いだろう。

このような反対運動の矛先は様々で、児童相談所以外にも、障害者福祉施設、保育所、特別養護老人ホーム、更にはゴミ処理場などのいわゆる環境施設でも同様の問題が起きている。


例としていくつか件数を紹介しよう。

まずは障害者福祉施設でのコンフリクトの発生件数について。

2020年に実施された全国手をつなぐ育成会連合会の調査によると、

過去10年間に、障害者福祉施設の建設や運営開始にあたって、地域住民から反対をされた件数は356件のうち90件、全体の25%もあったのだ。


次に保育所での発生件数について。

東京都市大学の後藤准教授らの研究によると、

2010年1月から2016年12月までの朝日・読売・毎日の全国三紙には、

保育所での反対運動が133件も掲載されていた。
(ここで野次がきた。133件は多いのか、少ないのか。全国の保育所に対して133件は少ないのでは無いか?という指摘である。保育所全体の数のデータを集めることができなかったので133件とだけ示した。その点については至らなかったと思う)


地域住民と施設との対立である施設コンフリクト。

施設コンフリクトがあることによって、

施設の建設ができなくなったり、たとえ建設ができても、住民とのトラブル発生の原因になってしまうのだ。

 

障害者の生活と就労を助ける、障害者福祉施設。

子どもたちの生きる力を培う、保育所。

離婚や虐待により家庭で生活できなくなった子どもの居場所になる、児童相談所。

常に介護が必要で自宅では生活できなくなった高齢者のための、特別養護老人ホーム。

ゴミを処理し街を清潔に保つための、ゴミ処理場。


これらは、皆、公共の福祉のために無くてはならない。

どこかに作らなくては、ならない。

どうしても必要な施設なのだ。
(「公共の福祉のために」という理念は、僕が元来から思っている「弱い立場の者が大多数の強い立場の者によって自由を奪われる構図、それってクソじゃね」を聴衆に伝わりやすく変えたものである。僕に実力があればそのままの理念でできたのだろうが、技術不足によりこの形となった。尤も、公共の福祉は大事だとは思っているので演壇で嘯くマネはしていない。してたら演壇に立てないぞ、僕のような小心者は)

 

だから私は、施設コンフリクトを解決するべきだと主張する。


では、この施設コンフリクトはなぜ起きるのだろうか?

原因として考えられるのは、二点ある。

それは、「不安感」と「説明不足」だ。

(この部分は後述する野村准教授の論文より抽出した。これ以外の理由もあるかもしれないが、僕には思いつかなかったため弁論中には出てこない)

まず1つ目に、施設への不安感について。

「子どもの声がうるさいのではないか」

「障害者は不安だ」などなど。
(「障害者は不安だ」じゃなくて、「障害者は怖い」のほうが良かったよなあと今になって反省している)

施設と地域住民との信頼が築けていないため、

このような反対の声が上がるのだ。

平穏に暮らしていた際に、信頼関係が一切無い不安感のある施設ができると聞けば、

反対の声を上げるのも当然なのかもしれない。


次に考えられるのは、手続き上の説明不足だ。

住民の合意を取り付けず、事前の説明会を

行わずに施設建設を進めてしまうと、

地域住民は反感を覚える。

「なぜ、私達に確認を取らずに施設を

作ろうとするのか」と。

施設を建設しようとしている団体や、

設立を許可した行政への不信感が高まり、

結果として反対運動が発生してしまうのだ。


この原因に対し、私はまずひとつ目の解決策を提言する。

それが、「施設方針を定める際の意見聴取の法的義務化」である。

説明がされないことにより、コンフリクトが

発生するのならば、

事前の説明を徹底するべきなのだ。

この政策はすでにゴミ処理場設備に関しては法制化されている。

しかし、それ以外の種類の施設においては自主的に説明会をしているだけに過ぎない。

コンフリクトが発生する各施設についての法律群に、この規定を取り付けるのだ。

具体的には、民間の福祉団体である社会福祉協議会の協力の下、

施設職員による各家庭への個別訪問や、

説明会を実施することを想定している。

この政策により、施設コンフリクトが発生する前に解決するのだ。
(後述する二点目の政策もそうだが、僕の弁論は全体的に政策の新規性が無い。環境省が実施しているので実現可能性は高いとは個人的には思う。だが、解決策で面白みを与える弁論は自分にはかける気がしない。今後の課題である)


しかし、これだけで、この問題は解決するのだろうか。

説明をしても、それでも反対する住民がいないとは言い切れないだろう。

施設への不安感という感情は、説明をしても変わらないことだってある。


不安感を乗り越えるために、

必要なものはなにか。

それは、信頼関係の構築である。

私は信頼を次のように定義する。
(ここで本来なら個別事例を入れ、わかりやすく説明しようとしたのだが、時間の都合上削った。水面下で僕に力を貸してくれた誰かに感謝したい。信頼があれば許せるという考え方は、遅刻を繰り返す友人を許す感覚に近いと思う。共感できる言い方にできればよかったのだが、できなかったポイントである)

「不確実性があるにもかかわらず、それでも

何かを他者に委任しようとする心理的状態」

信頼があれば、相手に不安感を覚えたとしても、それでも大丈夫だろう、と思うことができる。

不安感は信頼によって乗り越えることができるのだ。

こう言われると、「感情論かよー」と一蹴されてしまうかもしれない。

だが、不安感という感情の問題に対し、解決する手立ては、同じ感情である信頼なのだ。


施設と地域住民の対立であるコンフリクトに

おいて、

お互いに対する不信感は、どうしても存在してしまう。

相手が嘘をついて有利に進めようとしているのではないか。と思ってしまうのだ。

信頼関係の築けていないうちは仕方がない事かもしれない。


そこで、仲介者の介入が必要となるのだ。
(しれっと演題回収している)

争いあう二者の間に入り、双方の言い分を真摯に聞き、

信頼を構築していく。


このような仲介者の介入のあった事例は

いくつかある。

大阪市立大学の野村准教授の研究によると、

2000年から2010年に行った調査では、

仲介者の介入があった障害者福祉施設、15施設のうち、10施設が開設に至っており、

更にそのうちの8施設では地域住民と良好な

関係を築いている。

仲介者により、半数以上で良好な関係が築かれているのだ。
(n少なすぎ!と突っ込まれた覚えがある。だがこれしか無かったのだ)

 

コンフリクトに対して信頼の構築を目的とした方法は、

リスクコミュニケーションと呼ばれている。

そして、

ごみ処理場などの環境施設にはそういった

リスクコミュニケーションマニュアルが存在しているのだ。

これには10点のポイントが有り、

それらをスライドで示したい。

マニュアルは環境施設のコンフリクトのために作られたものである。

しかし、同様の問題であるにも関わらず、現状、社会福祉施設にはマニュアルは存在していない。

私はそこに解決の糸口を見つけた。

データと環境施設での事例を元に、

私は「仲介者」による信頼の構築を

解決策として提示する。

具体的には、

先に述べたリスクコミュニケーションマニュアルの社会福祉版の作成と、

各市区町村に、専門窓口を設置することだ。

これらはすでに環境省では実施されており、

実現も難しくは無いだろう。

実際に環境施設でのリスクコミュニケーションマニュアルを福祉施設でも活かし、

コンフリクトの解消に貢献した例もある。

また、仲介者を 行政に担ってもらう理由も提示したい。

その地域に精通しており、

公共の利益の視点を持ち、

地域住民とのつながりを持っている。

そうした特徴があるため、行政こそ、仲介者にふさわしいのだ。

さらに、行政自体も、

施設の設立による共生社会を掲げているため、行政にとっても動機はあるのだ。
(この文章、今思えば唐突すぎである。「ともに生きる社会」は行政のキャッチフレーズであり、施設コンフリクト解決がその一助になる、というロジックを何も伏線を貼らずに言ってしまった。聴衆には申し訳無さがある)

演題にある介(タスク)という字。

この字は人と人とをつなぐ「介する」という意味と、

人が人を「介ける」という意味がある。

介することと、介けること。

これらには、深いつながりがある。
(僕の本名にも介の字が使われている。が、くどいので言うのを辞めた)

 

最後になりますが、

三年生という上級生であり、かつ、二回目の出場を許していただいた

日本大学法秋雄弁会、並びに関係者の皆様に感謝を申し上げます。

ご清聴ありがとうございました。
(このパートに対して、不要!という野次があった。でも老害出場するのであれば、言わないともどかしさがある。過去に言った先輩もいたのでそれに習うことにしたのだ)



ここまで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございます。
本番から日がたった僕です。
今回、5回目にして初めての入賞ができました。
僕が諦めずに挑戦できたのは、弁論という存在の魅力と、弁論に携わるすべての人達の魅力が大きいと思います。
皆さんに、心より感謝申し上げます。

まだまだ、大会に出ていきたいと思いますので、またお会いしましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?