弁論についての備忘録 ①

自分の弁論への発見を文章化していないことのヤバさに気づいたのでここに述べます。
覚書なので、読みづらい点もあると思いますが、ご理解ください。

備忘録① 勝ち”だけ”に執着するのはなぜ批判されるのか。

たまに言われるこの手の話。自分なりの解釈を述べておきます。
理由として考えらるのは複数ありますが、①ダサいから、②本質を見失うから、③聴衆に失礼だから、等が挙げられるでしょう。

①ダサいから

感覚的な理由ですね。弁論作成はかなりの労力を伴います。その先に見据えているのが、勝利という個人的なものだけだと、かっこがつかないように感じます。

②本質を見失うから

弁論の目的は、古くから説得・議論・社会変革のためとされています。社会の問題、弁士の価値観を聴衆に訴える理由は、有意義な新たな何かのためであってほしい。そうした願いを抱いているがために、勝利という小さな対象に縛られていることが、本質を見失っているように感じます。

③聴衆に失礼だから

説得・議論・社会変革のためには、弁論を聞いてくれる聴衆の存在が不可欠です。勝利のためには審査員さえいれば事足ります。勝利のためだけの弁論は、聴衆を必要としておらず、独りよがりです。

最後に

備忘録①として書いてきましたが、ここに書かれていることは、私が0から考えたものでは無いことが往々にしてあります。諸先輩方のお言葉の影響を多く受けています。この場を借りて感謝申し上げます。

また、勝利”だけ”とタイトルに示した通り、勝ちたいと思う気持ち事態は、なんら責められるものではありません。問題は、勝つことにのみ執着し、弁論から魂が抜けてしまうことです。伝えたい思いを、勝利の段階にまで持っていけることができれば、誰にも文句は言わせません。

ご意見等ありましたら、DMにてお待ちしております。



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