ほんと不安になる。成長したと思ってるのは僕だけで駄目な振る舞いはまったくもって改善されていない。改善される目途もたっていない。それなりにはがんばってきたとしんじたい。おもいだせば思い出すほどそうではないっぽい。なんかときどき全部めちゃくちゃにしたくなる。狂いきれもしない。結局凡人。いやそれ以下だにゃー。にゃん
あんなにストレスをため込みながらも看護学校を卒業した姉が精神障害の療養期間を経て風俗で働こうとしている。 老人の下の世話をするより男の下の世話をする方が割がいいからなんだと。 もうきっと僕にはどうにもできない。母は長い時間働きながら少ないプライベートを比較的姉に付きっ切りで生活してきた。とんでもない労力を注いできた。今だってそうだ。引きこもりで統合失調症の姉を自宅で、働きながら、一人で面倒見るなんて。母は強し、というが電話越しに聞いた彼女の声はガラスのようだった。風俗で働くな
川魚な海で生きていけない。深海の大きな水圧に耐えるよう設計された深海魚は浅瀬では自らの内圧に耐えられず破裂する。人の社会ではどこでも生きていける魚が多い。僕は違う。自分に適した水槽をずっと探している。適応するのが一番早い。みんなはそうする。 今日聞いた母親の声は一度膝を折っては二度と立ち上がれそうにない響きがした。
違う!人と目合わせるのが辛いだけだ!!
3つや4つしか変わらない大学院生の分際で何が「若いな~」だよ。人生経験が数年あって、家庭が離婚やそれで揉めてたらもう「俺は十分な人生経験を以て立派な大人になりました」ってか?学費も生活も親に面倒みてもらってる分際、自分の稼ぎで自分の生活の面倒見てるわけでもない分際で何偉そうなこと言ってんだよ。ほんと、イラつくな。駄目だ。狭量すぎる。それこそ「自分の人生経験を過大評価して人のそれすらも断じるだなんて若いなー」ってスルーするぐらいじゃねえと。いやベストは「はいそうですね」といって
思春期に入る頃には既に、父は家を出ており、母、姉、僕の三人暮らしだった。僕より二つ年上の姉は中学入学当初は(校内では)優秀であった。成績も良く母もそれを褒めた。私は姉の入学と同時に姉弟に与えられたipod touchでひたすらアニメを見ていた。よって母の帰りが遅くても孤独感は無かったし学校生活も充実していたと思う。アニオタの誰しもが持っていただろう痛々しさも存分に発揮していたが別に俺は悪くない。ただ姉が二年生になったタイミングで状況は悪化した。我が家は食うに困る貧乏はしていな
自分の一番理解してほしい部分を理解してもらえない。そんなの当たり前のことなんだって。いちいち悲しむようなことでもないんだよ。そんなことで傷付いてたらキリがないんだって。まあいいじゃん。寂しさを恋愛で埋めようとするのは去年散々失敗してその才能がないことがはっきりしたじゃん。だから今頑張ってんだろ。そうだよ。だから頑張ってんだよ。先生はいった。君は忙しすぎると極端にパフォーマンスが落ちるから無理しない方がいいと。その通りだ。でも無理しないとダメなんだよ。僕が幸せになるには人並の努
今日も有意義な一日だった。と同時に大したことのない一日だった。大丈夫心配するほどのことじゃないんだ人間なんて。いつか訪れる、僕に悪意を向ける人が現れるその日を怖がるんじゃなくて正面で向き合ってくれる人との今に全力投球する方がずっといいんだ。だからそうしよう、無意味な思考の指向は矯正するんだ。そして頑張ろう。 頑張って立派な人間になろう。立派な人たちを見てると僕も立派になろうと思える。楽しんでいこう!
まあタイトルで既に落ちているのですが… 最近色々あって、走り抜けてきた(厳密には走らなければという焦燥にかられ続けてきた) もちろん、傍ら就活や学校のこととかあとまあ生活とか雑多にもろもろあったのだが、なんだかんだ、ペースが落ちついちゃって燃え尽き症候群気味。 最近冷えてきたしただでさえ(たった今「ただでさえ」、と「ただだせえ」で韻が踏めると発見!)オンボロな体のエンジンがさらに仕事をしなくなってきた。なんてところにタイトルが効いてくる訳ですね。 自己管理能力が低い。この一点
私は20歳であるが、話す限りではもっと上に見られやすい。老け顔だからではなく、内面が成熟しているからである。と信じたい。まあそんなことはおいておいて、私は泣き虫だ。小さいころから少しの心の傷で泣くのだ。そしていつも男のくせにといわれる。まあむしろ泣き虫な男の子で男のくせに泣くなと言われていない人の方が珍しいだろう。問題なのは、20歳になった今でもすぐに泣いてしまう。いや、最近泣いてしまうようになった。ただ、私の場合、辛いから泣く、というよりは心自体はそこまで(少なくとももっと
家でゆっくり一日すごすみたいなこと最後にしたのいつだっけ。なんかずっと外にいたような気がする。実家に帰りたい。なんかここはずっと繋ぎ止められてるような気がする。ずっと焦燥が空回りし続けてる。機会がたくさんあるというのは本当にありがたいことなんだけど、なまじっかそれを認識しちゃってるばかりに今ここで休んじゃったときの機会損失みたいなのを考えちゃって心がリラックスできない。その割に今日も5時間近くもyoutubeで浪費してる。ほんとに狂ってるよな。やっぱみんなはもっと頑張ってるの
T.S 私が正確に恋愛感情を自覚したのはこの人が初めてであると思う。小学2年生あたりから付き合いが始まったといえる。親同士が知り合いなのがきっかけである。同じスイミングスクールにもいた。小学校低学年の頃は「きょうぼうねこはんたーい」や他の男子と合わせて「きょうぼうねこときょうぼういぬはけっこんする」といったテンプレのようなからかいをしては追いかけられたり手術といってくすぐられたりしていた。あれは人生のピークのひとつだった。小さくてかわいらしくて、ただ時間がたつにつれ軽薄な冗
すぐに人を好きになる。私は少々異常なほどに異性への執着がある。ばかでかい愛を腹に抱えたままこっそりとばかでかい失恋をする。それを異性に出会う度にやるものだから心は…。もうずっと。多くの人は自分の生活を整える脳回路が整備されているだろう。詰まったトイレは業者を呼んで直しましょう。支払いは督促状が届く前に済ませましょう。部屋は普通に片づけましょう。物事は締め切りに余裕をもって終わらせましょう。そいういう人並の当たり前をこなすための神経ボロボロでできない。当たり前なのに。だれか、僕
泣きたいなきたいなきたい 心臓が重く柔くしめられている。 涙はその拘束具を溶かしてくれる。できることなら四六時中涙を流していたい。 現実を生きろ
かなり遠回りをしてきたように思う、というか事実そうしてきたぬか喜びを繰り返してきた 張りぼての外見に騙され馬鹿みたいにはしゃいでいた まったくもって無駄な時間だったと思う。 まあ人生に意味なんて求めるのはとっくにやめたのだが あーあー自殺したいなんて気持ちはもうほとんど残っていないが、それでも鬱になることはしょっちゅうだ。まあ重要なのはそれでも前に進み続けることである。そうすることで少しでも自分が報われると思ってる。間違えた。祈ってる。 どーせ幸せなんて砂上の楼閣なのだし、
一銭にもならないごみのような怪文書を排泄している。 一人の時間が一番落ち着くでも一人の時間が一番落ち込む。 なにも考えたくない、ただずっと言いなりになりたい人の言いなりになりたい。人に悪感情を向けられても今更大きく落ち込むようなことはない。それでも人とコミュニケーションとるのはすごく疲れてしまう。でも疲れない人と一緒にいるのはすごく心地がよい。追い込まれればおいこまままmm! みんな頑張ってる。僕だけ頑張ってない。全部不足してるこれからが分からないどうすればいいかはもっと分か