阿波人が古代飛騨に入植した理由

飛騨に阿波からの入植が入った理由の仮説が浮かびました。

経緯は、山の並び方です。
今まで紹介した乗鞍連峰のアワ山とは別に、
飛騨地区ではないがおそらくは阿波関連の山を更に三つ発見しました。
今まで飛騨とは関係ないと思い考察対象からは除外していました。

一つ目は飛騨山脈の立山連峰の一つ、
『剣岳』(つるぎだけ)。
地籍は富山県で
古名の一つとしては『剣山』(つるぎさん)とそのまま阿波の剣山と完全に同名で、
阿波地名の完全な移設になると思います。

二つ目は『北俣岳(きたのまただけ)』同じく富山県地籍の山、
木俣神(きのまたの神)と気多神社をもじって付けられた名前と考えます。

飛騨市の安峯山(旧・安房山)の麓に気多若宮神社があり、祭神が木俣神。
木俣神の別名が『御井神(みいのかみ)』で、
『イの神』なので重要な阿波の神ではないかと思って調べてもその時点では情報があまり出て来ませんでした。

三つ目は、『稗田山』長野県に有ります。
古事記編纂の元記事の誦習をしていた稗田阿礼は飛騨の山名に移設されているかと調べた結果、
長野県北安曇郡に見つかりました。
(飛騨じゃ無かった残念‥‥‥‥と思っていました。)
『飛騨の口碑』からは稗田阿礼は飛騨の出身で『飛騨阿礼』なのだと主張されており、
邪馬台国阿波説では多くは阿波の出身と主張されています。

面白い事に、
『稗田』の名字は日本全国に多く散らばってありますが、稗田山は長野県にあり、
『阿礼』の名字は数がかなり少なく、一番多くの阿礼の名字をもっているのは岐阜県なのに、
阿礼山は四国に有ります。

今までに見つけた山、
安房山、旧・安場山(現・四ツ岳)、旧・愛宝山(現・乗鞍岳)・旧・剣山(現・剣岳)・北俣岳・稗田山、

これをグーグルアースで印を付けて、
ずーっと上空に引いてみると、
蛇行しながらですが北上して、
最後に稗田山からすぐに『糸魚川市』に到達しました。

直感的に、
『翡翠ロード』か?と思いました。
山は移転も隠蔽も出来ない。
陸地を移動する時には重要な目印になります。

もしかして、
糸魚川付近の飛騨の側、諏訪の側から翡翠が産出されないかと、
トレジャーハンターとして阿波から内密に入植したのではないか?、

飛騨から翡翠が見つかった際に、権利を主張出来る様に皇族の血筋の人間が飛騨に入植した可能性も考えられます。
それが飛騨王朝説の飛騨王『淡上方様(あわのうわかたさま)』に当たるのではないかと。

少し調べると、
飛騨、諏訪ともに『軟玉翡翠(ネフライト)』の産地だったとのネット記事がありました。
特に飛騨のモノは『飛騨ヒスイ』『高山ヒスイ』と呼ばれているそうです。

因みに日本では軟玉翡翠(ネフライト)はあまり重要視されておらず、
糸魚川の硬玉翡翠(ジェダイト)を珍重していて、
軟玉翡翠(ネフライト)は言えば軽視されているそうです。

しかし中国大陸では翡翠と言えばネフライトの事を指しており、
特に白色(羊脂玉)は最高級の扱いを受け、皇帝が身に付けるものとしてほぼ全て献上されていたとの事。
(現在では白のネフライトの産出は世界でも極端に少なく、まず手に入らないとの事)

飛騨では今も貴石ハンター(と言うか趣味人)が時々荒城川にネフライト採手に来ている様です。

現在、飛騨翡翠をネットで調べようとすると、『飛水峡』と言う奇岩の観光スポットが邪魔をして非常に調べ難いです。
日本でネフライト(軟玉翡翠)を軽視する論調が多い事や、
飛騨翡翠峡を調べる事の妨害工作的な『飛水峡』の存在は、

国がワザとやっているのでは無いかと勘ぐる程です。

ここからかなり穿った妄想仮説を立てますが、
ひょっとして、飛騨の何処かで白いネフライト(羊脂玉の軟玉翡翠)が見つかったのでは無いか?、

ひょっとして、これで『八尺瓊勾玉』が作られているのでは無いか?、

八尺瓊勾玉は天皇家の『玉璽』なのでは無いか?、
本来なら中国の皇帝の印鑑である、白い軟玉翡翠製の印鑑を、
日本の天皇家が飛騨産出の白い軟玉翡翠で作ったとしたら、

それを当時の中国の皇帝が知ったら没収されるか破壊されるか‥‥‥‥‥あるいは日本という国を滅ばされる可能性すら有り得るのでは無いか?、

‥‥‥‥流石に考えすぎか、と思ったら、
八尺瓊勾玉の事は別名『璽』と読んでいる事が分かりました。
(しかも別段隠している訳では無く、結構堂々と当たり前にそう呼んでいる。)

因みに飛騨ではルビー(コランダム)富山ではサファイアが見つかっているとの事。

追記
八尺瓊勾玉が、日本産の白い軟玉翡翠で出来た玉璽で、
印鑑の文字が古代ヘブライ文字で書かれていたらなお良し。


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