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京都・戦国時代に隆盛を極めた林下【大徳寺】

境内には塔頭がたくさん建っていて、非公開の寺、特別公開の寺、拝観謝絶の寺、いろいろあって難しい(笑)特別公開も数百円の拝観料の寺から数千円の拝観料の寺まであってさまざま。

大徳寺は戦国時代に多くの名のある戦国武将が菩提寺を建立していて、歴史好きでなきゃ覚えられない。僕は京都で最も好きな寺院と塔頭群だけど、歴史嫌いの相方は、分かりにくい大徳寺は苦手っぽい。

大徳寺は鎌倉末期の正和四年(1315)に創建の臨済宗の寺。開山は宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)、大燈国師。

宗峰妙超は子どもの頃に播磨の書写山円教寺に学んだ。西の延暦寺と呼ばれる書写山は、弁慶伝説や秀吉の中国遠征、ラストサムライの映画の撮影地などで有名。京都の寺院巡りを続けて播磨の寺じゃ敵わんやろーと舐めて行ってみるとかなり楽しめた。

宗峰妙超は大燈国師の号を与えられ、大徳寺を開山、また弟子の関山慧玄は妙心寺を開山している。

大徳寺は後醍醐天皇の後援で建武元年(1334)には五山の上位に位置付けるとする綸旨が発せられたが建武の新政が瓦解して、足利将軍家によって五山から除かれた。

大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯とも縁が深く日本の文化に多大な影響を与えた。

室町時代に応仁の乱で焼失された後、一休さんのモデルの一休宗純が堺の豪商の援助で復興に努めた。

豊臣家、徳川家の寄進によって復興された寺院の多い中、寺の僧が自力で商人らの援助によって復興させた希少な例。

戦国時代にいち早く復興されていたため、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営んだり、戦国武将を祀る塔頭が相次いで建てられ、戦国時代末期には隆盛を極めた。

山門に千利休の木像を安置されたため、秀吉の怒りを買い利休切腹の一因となった逸話も有名。

臨済宗の寺院の中でも影響力が強く京都五山の寺と比べても、歴史的な遺産としても勝るとも劣らない。


今回の旅行で参拝した黄梅院について

黄梅院 前庭

黄梅院は特別拝観で800円。撮影禁止だけど、祀られている戦国武将の顔ぶれ、千利休作の庭、竹林七賢図の襖絵、値打ちは十分。

織田信長が上京した時に父・信秀を弔うために、永禄五年(1562)に春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)を開祖として黄梅庵を建立した。

天正十六年(1588)に小早川隆景により本堂が建立され、翌年に隆景の寄進で建立された庫裡は禅宗寺院において現存する最古の庫裡といわれる。

以後、黄梅院は小早川の宗家の毛利家の保護を受け、毛利家の菩提寺となる。

信長の父の織田信秀、毛利元就、小早川隆景、毛利隆元、吉川元春、信長の次女とその夫の蒲生氏郷らが祀られている。

墓所の石碑 そうそうたる面々

1980年代に蒲生氏郷の墓の改修で、太玄和尚によって氏郷の洗骨、改葬がなされている。蒲生氏郷の若すぎる死と意味深な辞世の句から毒殺の疑念もあり、学術機関から真相を確かめてみようと申し出もあったらしい。

戦国時代好きな人で、蒲生氏郷や毛利家が推しなら激アツな寺。


三玄院について

三玄院 拝観謝絶

三玄院は関ヶ原の戦いの主役の石田三成の墓があることで有名。

浅野幸長、石田三成、森忠政が春屋宗園を開祖とし創建した。春屋、三成、忠政らの墓が祀られている。

本堂ふすま絵の八方睨みの虎とかあるらしい。なになに?八方睨みの虎って響きだけで見たいやん。

残念ながら三玄院は拝観謝絶の寺。

他にも戦国武将を祀る塔頭もあって、特別拝観の時にでも少しずつでも見てまわりたい。

戦国ファンには必見の観光地間違いなし。

☀️ 第3回京都観光 2021.10.15 【前泊】
南禅寺→知恩院→相国寺→大徳寺→黄梅院(大徳寺塔頭)

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