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今起き⑧政治と文学・1 憲法九条はどの程度、正義なのか

 タイトルを省略形にしました。画像は小林多喜二の亡骸と友人たち

 「政治と文学」って論争は1946年にはじまった。
簡単にいえば文学者は日本共産党の方針にしたがって人民大衆のために文学をやれ、という立場と、それに反対する立場の論争。
 もちろんこういう問題は日本だけじゃないし、歴史も長い。
 ソ連ではこれは文学者にとっては国家体制との戦いになっちゃうから深刻だった。
 ところが日本じゃこの論争がはじまった終戦直後、1946年には共産党は国会に議席を5つとっただけ。
 なのにこの問題が日本の文学者、知識人にとって大問題になったのは、「ひとつには」なんせ直前の日本じゃ合法的な無産政党も体制翼賛になっちゃったファシズム体制だったなか、非合法の共産党のみが弾圧の集中砲火を浴び、小林多喜二のような犠牲を多数、出しながらも抵抗をやめなかったという事実があったから。
 獄中からおおくの共産党員が出てきて(生き残った人は、だけど。獄中でかなり死んでる)活動をはじめたとき、後光がさして見えちゃったんだね。
まあこれは無理もない。
 
 戦後の日本は私的なものの価値がはねあがった。「お国のため」という公的なものは戦争・ファシズムと結び付けられ、価値がボーラク。これを良しとするのが公認されたわけだけど・・・
 かわりに反戦・平和てのがかなり強力な正義の旗印になったわけで・・・
 それで憲法九条をまもれってのが結集軸になっちゃうんだけど、憲法って国家の体制なんだけど。
 九条を絶対的正義として、かりに日本が侵略されて軍事的に対抗しなけりゃ日本人みんな死ぬって状況があったとしても、九条のためにだまって死ねっていう考えもありうる。つまり「八紘一宇」を「憲法九条」と入れ替えた超国家主義。
 まあ実際には自衛隊もできて専守防衛ならいいってのがいつのまにかあたりまえになっちゃったからこんな極論にはならないんだけど。
 ちなみに共産党はさいしょから九条には反対でした。社会党は「非武装中立」っていってたけど、共産党は「非同盟中立」を主張。非武装とは言わなかったんだよね。ただしこの方針は転換して、「九条まもれ」になっちゃった。1994年。まあこれは社会党が村山内閣で政権取ったときに「安保も自衛隊も認める」って言っちゃってボロボロになって解党した。それで「九条まもれ」の反戦・平和勢力を取り込もうとしたから、かな?
 色川大吉っていう歴史学者がいた。去年(2021年)お亡くなりになりましたが。いわゆる進歩的文化人って人で、たいへん人気のあった人だけど・・いまでも続いてる「朝なま」ってテレビ番組があるけど、この人、昔この番組で九条が問題になった時に「自衛隊は廃止するが、郷土防衛隊というのを作るんだ。軍事力で抵抗するのはいいんだ」と発言した。つまり「国軍はダメ」て事ね。
 まあ「軍隊を持たない事」それ自体を神聖で侵すべからざるものにしちゃうのが無理なんで、これを結集軸にしたのは日本の左翼(社会党を代表とする)の失敗だったんじゃないか。実際、社会党はなくなっちゃったし。

 まあ日本人にとって反戦・平和が大事ってのは直前の戦争とファシズムでえらい目にあった、もう二度と御免だっていう実感に根拠があった。戦前の絶対的正義は神がかった思想を国家が上からおしつけたもので、たしかにいっとき日本人のおおくも同調しちゃったけど、それは騙されてたんだ、まちがってたってことになった。この実感を政治に反映させようってのはいいんだけど、具体的にどうすればもうあんなことが起きなくなるのかって政策の問題になると・・・九条まもれでいいのか、ある種の軍事的な抵抗も必要な時もあるんじゃないかっていう異論に対して、護憲派が「そーゆーのは全部、戦前のファシズム・軍国主義の正当化・再現だからダメ!そんなこと言うのは軍国主義者で平和の敵!」なんて言ったりする。
 これがマルクス主義の理論だともともと国家は廃絶すべきもので、革命で階級社会を終わらせ、社会主義国家を建設し、条件がそろって共産主義社会が実現すれば国家のない人類の社会が実現するって壮大なビジョンがあるわけで、この線にそった思想と行動のみが真の平和主義で、あとはぜんぶ平和の敵ってことになる。
 1947年に社会党は片山内閣って短命の政権をつくったけど(新憲法での最初の政府)、一年もたなかった。つぎの芦田内閣では与党だったけど、これも短命に終わる。以後、社会党は長く野党。共産党はずっと少数野党。1948年の吉田内閣から1994年に細川内閣ができるまで、ほぼ自民党の単独政権が続いた。だから反戦・平和勢力の社会党・共産党はずっと「非権力」ではあったんだけど、もちろんいつかは国家権力握ってやろうと政治やってたわけで・・・
 とうぜん反戦・平和ってのが自由を圧殺する国家イデオロギーになりうる。(星新一の「白い服の男」って短編がそーゆーディストピアを描いていたな。)
 この「まだ国家権力を握ってない勢力による政治」てのをかんがえる必要がある。

 日本における「政治と文学」論争ってのがまさにそれだったわけだけど・・・やっと話がタイトルにもどってきた・・・ソ連の政治ならともかく、日本の共産党なんて弱小なんだから無視すりゃいいじゃないかってわけにいかなかったのは、たんに共産党に後光がさしてたってだけじゃなく、ある時期の共産党の戦術ってだけじゃない、普遍性のある問題、知識人問題ってのがあったから。

 つづく

 
 
 

 
 
 
 
 
 

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