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いま起きている事を理解するために④ナショナリズムのいろんな形

「インターナショナル」 

 労働運動と革命の歌。作詞・作曲はフランス人。 19世紀末から、世界に広がった。 1922年から1944年まで、ソ連の国歌でもあった。
 インターナショナルってのは、実在した・する組織の名前。「現在では社会主義インターナショナルが社会主義の主流とされ、世界の130の政党を組織し、欧州連合15か国中13か国(1998年時点)の政権与党であった。」 wiki
 この社会主義インターは第二インターを継承してる。 第三インターがコミュニズム・インター、略してコミンテルン。
 第一インターは1864年に創設された。スローガンは「万国の労働者よ団結せよ」 労働・革命運動は国際主義であれ、ということだ。
 ナショナリズムって言葉は定義が難しい。ネーションは国家か国民か民族か。 でもインターナショナリズムの反対の意味って考えると、わかりやすくなる部分もある。
 ヒトラーのナチは国家社会主義のさいしょのナチオナールのナチから来てるわけだけど、ナチズムの中身は人種を最優先する。 劣等とされたのはユダヤ人だけじゃない。ロシア人もまた虐殺の対象になった。
 ナチによるソ連侵攻はバルバロッサ作戦とよばれた。 「彼らの最終的な目標は、最終的にスラブ民族の絶滅、奴隷化、ゲルマン化、シベリアへの大量追放を含み、ドイツのためのより多くのレーベンスラウム(生存圏)を作り出すことであった。」
 まあこんなだったからソ連は大変な死者を出すことになった。
 ヒトラーの思想には社会ダーウィン主義が影響してる。 人種がその生存をかけて争うのは当然で、適者生存だとする。
 こんなナショナリズムはもちろんたまったもんじゃないんだけど・・・ ナショナリズムを単純に悪として否定するのもムチャな話だ。

 戦後、アジアとアフリカの植民地がつぎつぎと 独立したときには、もちろんナショナリズムの高揚があった。このナショナリズムはインターナショナリズムと対立するようなものじゃなかった。 帝国主義に反対する立場だったからね。 これが日本の場合だと、植民地にならずにすんだかわりに、自分も列強の仲間入りして帝国主義やったから、かなり話が違うんだけど・・・非ヨーロッパの国の近代化っていう共通する部分もある。 近代化とヨーロッパ化をどう区別するのか。 これがしばしば問題になった。
 1930年代のパリで始まった黒人留学生たちの、「黒人を黒人性(ネグリチュード)の尊厳に目覚めさせ、フランスの植民地同化政策を拒否する」文化運動をネグリチュード運動という。この運動に目覚め結集した黒人のエネルギーは、第二次世界大戦後のアフリカ独立の起爆剤となった。
 この背景には文化的帝国主義、ヨーロッパ中心主義ってものへの反発があるんだけど・・・この運動のなかに文字の廃止って主張があった。われわれはもともと文字なんか使ってなかった。文字は白人の帝国主義者が押し付けたものだ、だから拒否しよう、と。
 この主張者はのちに「あれは失敗だった」と語った・・・という話をむかし読んだ記憶があるんだけどいま検索してもぜんぜん出てこない。 まあ、あってもおかしくない話だ。 帝国主義やヨーロッパ中心主義が間違ってるからと言って、それに反対する立場が常に正しいとは限らない。
 日本は和魂洋才とかいってやりくりしてたけど(笑) 対米英開戦のころには反欧米感情が爆発しちゃうんだよね。 鹿鳴館なんて作ったことの反動が一気に来たのか(笑)
 まあ戦後の日本じゃナショナリズムは軍国主義・超国家主義・戦争の惨禍と結び付けられて、悪の記号としてあつかわれることが多かった。 反戦・平和勢力と呼ばれた左派・進歩派の知識人たちがそういう雰囲気を作っていたと言っていい。
 すげーざっくりと。 「日本は侵略戦争をやった加害国だ。だから日本人はナショナリズムを持ってはいけない」 対して 「日本はアジア解放の正義の戦争をやった。だからおおいにナショナリズムを持つべし」 この二分法。これは困る。
 
 ここでとつぜんワンダーフォーゲルの話。 ドイツ語で渡り鳥って意味。 日本じゃほぼ軽登山って意味か。 本格的な山岳部は衰退したけど、ワンゲル部はまだいきのこってる。 まあ体育会系と無縁のアウトドアライフって奴は商業的にも拡大したしね。
 本家はドイツで、たしかに野山を歩く運動なんだけど・・・これが19世紀末から20世紀初頭のドイツ青年運動の中心だった。 のちにヒットラーユーゲントに吸収され、ナチとともに消滅。 ワンゲル運動は日本にしか残ってないそうだ。
 真の愛に選択の自由はない。 ドイツの言語学者(名前わすれた)の言葉。 自分が生まれて育ったところの自然・風土・文化・人々に対して強い愛着と一体感をもつってのは自然なことだ。これを愛国心と呼ぶとして、これがあの戦争を侵略と定義することと両立しないってのはおかしい。
 
 日本のナショナリズムを江戸時代の国学からはじめるってのは妥当だと思うけど・・・国学は反中国の思想だった。からごころ(唐心)にやまとごころを対置して復元しようとした。おもに文学の思潮。 べつに日本は中国に支配されてるわけじゃなかったし。
 これが幕末になるとアヘン戦争の情報が伝わってきたり、欧米の軍艦が日本近海に現れるようになって日本は軍事的にやばいんじゃないかってことで急激に反欧米のナショナリズムが高まる。攘夷思想ってやつ。
 これが尊王と結びついて尊王攘夷になり、倒幕の精神的支柱になった。 それで明治維新になったわけだけど・・・ どう考えたってこれは日本の近代化の始まりだったんだけど、政治的には王政復古ってことになっていた。
 また維新って言葉は英語のレストレーション。 古い車をレストアするっていう、アレね。 復元という意味。
 ところが実際には欧米の文明をどんどんマネしていく。 文明開化とか言って。子供のころ、歴史の教科書を読んで「あれ?攘夷は?」て思った人も多いんじゃないか。
 まあ攘夷の代わりに日本も欧米列強に伍して富国強兵で国威発揚!てことになった。 そうなると日本のナショナリズムも拡張して、大アジア主義なんてのが出てくる。

 つづく
 



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