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フェミとトラジェンと弱者の正義問題

 前置き。ある共産党の女性県会議員が典型的な「トラジェンによるフェミ攻撃」投稿をした。それに怒ったある共産党支持の女性が批判した。
 その投稿に対する引リプ。

 「まさか科学の党がこんなに迷走してるなんて」 まったくだ。なんでここまで劣化した?
 この問題、トラジェン問題で、ついいた上での反応でいちばん目立つのは批判したフツーのフェミさんがいきなり差別者だなんだってレッテル貼られてキューダン攻撃されるって事で・・・ これってアレじゃないの、アレのバリエーションだよねっておもった人はいると思うけど。
 
アレとはこれ。朝田理論。 朝田理論に基づく恣意的な差別認定の乱発については、当初から「箸が転んでも差別か」「パチンコに負けるのも、郵便ポストが赤いのも差別か」と揶揄されていた[14][15]。これに対して朝田は「その通りや」と笑って答え、批判を受け入れようとしなかった16]。
 かつて朝田善之助に師事していた東上高志によると、朝田は常々「差別者をつくるのは簡単だ」と豪語していたという[17]。 岡映によると、岡山県江見町では居酒屋で飲食した5-6名の部落民が金の持ち合わせがないことに気付き、とっさの対応策として居酒屋の主人の「差別発言」をでっち上げ、銚子やコップを割る、椅子を振り回すなど暴れられるだけ暴れ、酒食料を無料にさせ、なおかつ居酒屋の主人を謝らせ、金一封を巻き上げて自慢していたことがある[20]。

 
 この理論(?)と運動(キューダン)は色んな団体にマネされた。だから筒井康隆断筆事件もおきてる。 筒井氏がぷっつんするくらい、日本の言論界は無力だった。 そのなかで正面からこれと対決してきたのが日共だった。
 こんな事件もおきてる。 矢田事件。 「(われわれは)差別者に対しては徹底的に糾弾する、糾弾を受けた差別者で逃げおおせた者はない。差別者であることをすなおに認めて自己批判せよ、差別者は日本国中どこへ逃げても草の根をわけても探しだしてみせる。糾弾を受けてノイローゼになったり、社会的に廃人になることもあるぞ、そう覚悟しとけ」 きゃー怖い!

 
 こういったおっかねえ理論(?)とは、おそらくは別個に、戦後日本の安定期に、文化の表層にあらわれたミンシュ的・サヨク的なイメージ、「清く正しく美しい弱者・被差別者像」ってもんがある。 筒井氏断筆事件をあつかった 【「言葉狩り」と差別】 って本があるんだけどこの本(文芸春秋)のなかにこんな読者からの声がある。 「私はアイヌ人で被差別者側の人間ですが、逆に少数であるがゆえにたてまつられることもおおかったように思います。/『アイヌ人には 悪い人がいない』とか『アイヌの人は自然とともに生きている』とか
 でも、考えても見てください。私達は民話の世界にいきているわけではないのです。現代社会にいきているんです。われわれ内部にだって差別はあるし」 あはは!そりゃそうだよな。
 また、トラジェン問題は最初は性同一性障害の問題、障碍者問題のひとつとして始まったはずなんだけど・・・また別の本。「ちびくろサンボとピノキオ」(青木書店・1990)この青木書店っていうのはこんな出版社。  1945年に青木春男が創業[1]。マルクス主義に基づいた人文科学・自然科学・科学史の出版物を主要分野とした。1960 - 70年代の大学紛争の時代にはマルクス・エンゲルス関係の出版物でよく知られた出版社であったが、ソ連と東欧の解体と共産主義の退潮以来、出版活動にも影が差すようになり、社会科学、教育、環境思想などの出版物も手がけるようになった。(wiki) サンボは黒人、ピノキオは障碍者の差別だって糾弾される事件がおきたんで、それを論じた本。
 このなかである種の典型的な障碍者・健常者観が引用されてる。 「私なんか、ネクタイして紳士面できれいごというヤツこそ、気を付けなきゃいかんと思ってますよ。障碍者が人を騙したり、おどしたりなんて、現実じゃないでしょう」「そもそも、『豊かな家庭』で育ち、『最高の教育』をうけた『健常者』の中にこそ、もっとも非道でもっとももっとも凶悪な人々が実在しているのである。」
 これに対する批判。
 
 このような障碍者に悪者はいないと決めつけるのは障碍者にたいする偏見である。たとえば障碍者がその障害ゆえに犯す犯罪は数多いのである。上の統計によると総検挙人員のうち、0.82%が精神障碍者である。身体障碍者はふくまれていない。
 その割合の低さは、健常者の絶対数が多いからで、障碍者に悪者はいないという理論が成り立たないことは明らかであろう。 また、障碍者はロッキード汚職などとかかわる場の保証すらないと述べているが、そうではないだろう。
 資本家階級であろうと労働者階級であろうと、障害をもった子供が生まれることはあるし、人生の途中で障碍者になることもある。資本家階級だけ障碍者が存在しないということはありえないのである。

 うーむ科学的。

 去年の十一月にさはさははnoteにこんなことを書いた。

 弱者の論理は、外交上の武器として使われる事もある。 イスラエルが建国されてしばらくして、土着のパレスチナ人が迫害されていることにヨーロッパが気付いた。 これを批判されると、イスラエルはきまってこう反応した。「それは反ユダヤ主義だ!」 ユダヤ人の迫害の記憶を持つヨーロッパ人は沈黙した。 「それとこれとは話が違うだろ」と言えるようになるのに、時間がかかった。 そのころにはおおくのパレスチナ人は難民となっていた。
 さいきんついいた上で、フェミニズム対トラジェンのバトルが発生してる。フェミニストが差別主義者としてキューダンされている。 差別にもステージがある。 フェミニストはさんざん弱者の論理で男社会・男マスコミをキューダンしてたが、よりステージのたかい被差別者・トラジェンにおなじ武器で攻撃されてるわけだ。  俺もトラジェンはヤバイと思ってるけど・・・ フェミニストは有効な反撃ができるだろうか。

https://note.com/joyous_daphne278/n/n04985b0e9fb0

 まあこのころすでにイスラエルじゃ、ガザじゃなくってほかの場所の教会だったかではげしい衝突がおきてて、しばしばTLが流れててこっちもやばいんじゃないかと思ってたら超ヤバイことになっちゃったわけだけど・・・まあ弱者の正義は利用次第でどんだけやばいかってサンプルになっちゃった。 それでも日本じゃトラジェンによるフェミ攻撃が止まる気配もない。
 ただし、この問題はもちろん「ユダヤ人の」あるいは「トラジェンの」弱者の正義が問題なわけじゃない。 カッコ内は入れ替えが可能。もちろんここに「女」や「フェミニスト」がはいることもある。 noteではそれを指摘した。
 wikiのツイフェミの項目にも、こんな事が書いてある。 彼女らは自らを絶対被害者化し、目に入るあらゆる情報に女性差別を見出した上で、根拠もなく他者の言動や表現を制約しようとしている[15]。
 「朝田理論・ツイフェミ」でぐぐると、やっぱりかなり出てくる。まあ朝田理論とツイフェミの言動、両方知ってりゃ誰だって類似性に気づく。
 一部のまともなフェミによるトラジェン批判の内実はふたつある。 ひとつは、フェミニズムの根本だったはずの女性の権利をまもる(具体的には女性スペースをまもる)って立場から、トラジェンによる権利侵害の批判。
 もう一つが、トラジェン批判のフェミを差別者認定してキューダン攻撃してくる、かなり悪質で陰惨な行為への批判。 で、別枠にもうひとつ。 こういうときに支持・連帯すべきとおもってた人たちが沈黙したりあっち側に立ったりして味方がすくねー!て不満ね(笑)
 でもこれ、沈黙しちゃう理由は、明らかだとおもうけどねー。やっぱ自覚があるんでしょ。 自分もおなじように弱者の正義を振り回してるって。
 トラジェンはすっかりいま一番はやりの正義になったみたいだね。うかつに手をだしたら、こんどは自分がマトにかけられるって考えたら、知らないふりするしかないでしょ。
 あっち側に行っちゃう著名人は、いろいろ計算して立ち回ってるんじゃないかな。実態を知らないってちょっと考えられない。 もちろん、もろ工作員もいるだろうけど。

 ・・・というわけでこの問題は「フェミによる自己批判の必要性」という問題を提起してるのでは・・・
 で、次回、前から気になってた「ブレンダと呼ばれた少年」事件をとりあげる。


 





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