見出し画像

ニーバーの祈りとミネルバのフクロウ


 神よ、私に三つのものを与えたまえ 
 変えられないものを受け入れるおちつき  
 変えられるものを変えていく勇気 
 両者を見分ける英知
 「二ーバーの祈り」というんだそうで・・・ 聖書にある言葉じゃなく、アメリカの神学者が言ったんだと。
 カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」って小説で引用されて有名になったんだとか。
 さはさははクリスチャンじゃないけどこの言葉は気に入ってる。なんか人生で必要なことをカンケツに言い尽くしてる感じだ。
 同時に思い出すのがマルクスの「自由とは必然性の洞察である」て言葉なんだけどね。同じことを言ってるんじゃないか。
 最近トラジェン問題で急浮上してきた「社会正義問題」だけど・・・ポストモダンの影響ってのを別にすれば昔からある。 アメリカじゃPC、ポリティカルカル・コレクトネスなんて言ってた。日本でも弱者の正義による差別糾弾てのはしばしば話題になった。
 1993年に筒井康隆断筆事件ってのがおきる。 きっかけは短編「無人警察」のこの部分 作中のてんかんの記述(脳波測定器を内蔵した巡査ロボットが運転手を取り締まる際、主人公が「てんかん持ちの人が異常な脳波を出していた場合もチェックされるらしいが、おれはてんかん持ちでないしなあ」と独白する)
 これがてんかんをもつ人々への差別的な表現であるとして、日本てんかん協会から抗議を受ける。 筒井氏、ぷっつんして断筆。 9年後の2012年。こんな事件がおきる。
 https://t.co/U6pKh7cMtg

 運転者を含む8名が死亡、12人が重軽傷を負った交通事故。事故原因は最終的に運転手の持病のてんかん発作とされた。
 運転手は2003年にバイクで単独交通事故を起こし脳挫傷を受傷した。その後遺症としててんかん発作が起こるようになったが、病状を申告せずに運転免許を更新していた。運転手は2012年になって2度意識消失発作を起こしており、家族と医師は運転をしないように忠告していた。
 本事件および鹿沼市クレーン車暴走事故によって、持病を申告せずに免許を取得・更新して病気の発作によって重大事故が相次いでいることが問題視されるようになった。これを受けて、2013年6月14日、道路交通法が改正され、運転に支障のある者が免許取得・更新時に虚偽申告を行った場合に罰則が設けられた。
 この問題はもちろん医学が進歩しててんかんって病気が完治するようになれば解決するわけだけど・・・ それができない現状ではどうすればいいんだろうね。
 ファイアーストーンは生殖テクノロジーの進歩が女性解放の条件とかんがえた。主著の題が「性の弁証法」。 マルクスを意識してたんじゃないか。 マルクスの歴史観は弁証法的唯物論。
 マルクスは搾取も階級支配も人類の進歩・発展に必要なんだと言った。たんに道徳的に悪いと批判したわけじゃない。必然性があるんだと。 だが、やがてミネルバのふくろうが羽ばたく時がくると。
 二ーバーの言葉には歴史って視点があるのかどうかはわからない。でもある一人の人間にとって重要な問題がいつかは解決されるだろうってことは意味があるのか。 いま、すくなくとも自分が生きてるうちに解決しなきゃ意味ないんじゃないか。
 それでも意味があるとしたら、自分の問題が自分以外の人間にはやがて解決されるだろうって望みにつながるってことが自分にとっての望みでもあるって考えられる時。 歴史の歯車をよりスムーズに回す力になること。
 どのみち英知も落ち着きも必要なんだよな・・・ これわかってない人間がやたらと正義を振り回すと世のなかの苦しみはムダに増えるだけなんだよね。


 
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?