屋久島での1ヶ月生活を終えて
5/28に屋久島に到着し、民宿杉の子で7/2までお世話になり、これはその翌日に書いています。
屋久島ロス真っ只中 別れが辛いというより 苦しく、ホントに胸がギューっとなる感覚です。
こんな感情は初めてなりました。
普通に帰りのフェリーで涙ちょちょぎれていました。
それほど素敵なみんなと出会えたという事だと思います。
今もあの人は何しているかな、天気はどうかなと向こうの事ばかりを考え、なかなか目の前の事がはっきり入ってきません。
ぼーっとしています。
それにしてもあっという間の1ヶ月でした。民宿ではヘルパー(お手伝い)として働かせて貰ったのですが、ヘルパー以前に僕もいち観光客だったわけで、民宿を利用してくださるゲストさんと必然的に距離が短くなり、一緒に行動する事で充実した時間を過ごせたのだと思います。
こういう事を書いている時も色々思い出して目頭が熱くなります。なんなんもう
分からない、屋久島にとっては僕は1ヶ月だけの訪問者だったかもしれないが、僕にとっては最高の1ヶ月でした。
オーナー、ヘルパー、ゲスト、友達、島の人みんなのおかげです。ありがとうございます。
屋久島移住について
記憶によると確か屋久島の人口は約1万2千人
そしてその1/6(2000人)が移住者の方だそうです。
彼らの移住する理由は様々あると思いますが、僕は正直、一生は暮らせないと感じていました。交通の便は悪く、お店が閉まるのも早いです。娯楽は少ないし、、、ヘルパーをする1ヶ月くらいで丁度良いなと思っていました。
屋久島にいる時は、本土に帰ったらコンビニ行って、マック行って、映画館行って、とやりたい事が多くありました。
そして昨日本土に帰ってきたわけですが、それらの意欲はゼロになり、どうでも良くなっていました。
コンビニに入ったけど特になんの感想もなく、普通に一連の購買が済んでいました。
そんなことより屋久島が恋しく感じていたのだと思います。不思議な気持ちです。
多分色々な制限がある島の中で人とのコミュニティが凄い重要でそこに少しばかりですが参加出来ていたのだと思い、それが一番大切なことであると身体が感じたのだと思います。
コンビニ無くてもいいからAコープに行きたかったし、映画館無くてもambarのダーツで盛り上がれていれば十分でした。
本土は人も多く、信号があり、交通量はえぐいです。屋久島を1度経験することで見方が変わっていました。本土を暑苦しいとさえ思う次第です。
屋久島を出て屋久島の良さを再発見出来ました。まだ一生は暮らせないと感じるけど、一度本土に帰り、島を思い出すことで移住したい気持ちが大きくなったのは間違いないです。
とりあえずまた近いうちに、
いや、しばらく時間開けた方が感動しそうだからもう少し後かな、、屋久島を訪ねたいと思っています。
まだまだ書き留めたい事いっぱいあったと思うのですが、思い出したら書き足します。
僕がこんなしっかりした記事を書くのは珍しいですよ!そうさせた屋久島とゲスト、友達、島のみんなは責任とって何か奢ってくださいね。
7/3 民宿杉の子 元ヘルパー たくみ
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