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向上心0

周りがどうあれ、自分は幸せなんだと落ち込まないよう生きてきたのだが、途中から自分を励ますのがめんどくさくなった。

嫌なことがあった時は、辛くてもそれでもめげないぞと上を向いてきたが、連続で嫌なことが何年も続いた際に、ハイもういいやとなった。


見渡せば、どうしようも無い嫌なことが世界中溢れていることに気がつく。過去も未来も含めて怒涛の如く。悲しい。

しかも嫌なことから回避できるかどうかは、案外自力でどうにかなるものでは無いらしい。(部分的には違うかもしれない)


それからだんだん、自分に向けたエール(希望とか幸せとかいう言葉)が、薄っぺらく、嘘くさく思えてきた。


私は希望というのは今より良くなる、というニュアンスで使っていたから、苦しい時に信じる幸せは、私にとって希望だった。


しかし希望は叶うか知れない妄想でしかない。これを言い換えれると幸せは叶うかしれない妄想ということになる。体力がないと希望は持ちにくい。例えば、眠たいときに自分を傷つける妄想をしてしまったりするように。それと知識がないと楽しい妄想ができなかったりする。

本当に体力が持てない人や偏りのない知識を持てない状況に生きる人が沢山いる中で、環境にも体力にも恵まれた限られた人にのみ与えられる幸せを本当の幸せだと信じるほど傲慢になりたく無い。

幸せに条件をつけたくない。そうしないと、どんな時でも生を肯定できると思えない。


上を向こうとすることがきつい時がある。きつい。

きついのならば、今下向きなら下向きで、正面向いてるなら正面、上向きなら上向きと、そのままの角度でやりやすい今の角度でよいだろ。

無理に上を向うとしたくない。
気力は有限だし、限りあるものに期待して生きられるほど強く無いから。


今のままで良い。今も幸せでなければ無条件の幸せを知れない。これでよいのだ的な。安堵していきたい。その上で動かないとどこかで命が破綻しそうだから。

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