私と光ファイバーケーブル

私は、1983年、昭和58年4月1日に、アクトロニクス株式会社に新卒で入社し、定年退職まで勤め、今は監査役として勤務しております。入社した1980年代は、光ファイバーケーブルの黎明期でした。産業界では、オムロン株式会社が初めて光ファイバーケーブルを使用したシステムを採用しました。SYSBUSという名称で、株式会社東芝製の光素子(TODX82)を使い、光ファイバーケーブルは、TOFC82Q(屋内用)とTOFC82X(屋外用)という東芝製のものを採用していました。アクトロニクス株式会社は、株式会社東芝様に光ファイバーケーブルを納入していました。その縁で、オムロン株式会社、三島事業所様から、株式会社東芝様の紹介で、採用したばかりの光ファイバーケーブルの再加工の依頼を受けました。当時は長さが、0.1m、0.5m、1m、2m、3m、5m、10m、20m、30m、40m、50m、100m、200m、300m、400m、500m、700m、900mの物しか注文出来ませんでした。そこで、これ以外の長さの光ファイバーケーブルを製作することが出来るアクトロニクス株式会社に依頼が来て、私が担当者となり、そこから今もオムロン株式会社様とおつき合いさせて頂いております。当時は毎日100本近くを製作して納入していました。丁度、バブル期に向かい日本中が一番忙しい時代でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?