BLACK/MATRIX OOから対象認識という概念を考える。

                   自身を支える価値観。
         白き正義の光は黒き翼を焼き払う。


最近になって、プレイステーションのBLACK/MATRIX OOを遊んでいる。

自宅警備員ソルジャー(クラス1st)をしてた頃に電撃プレイステーションという雑誌に掲載されていて知った。

キャラクターのイラストに一目惚れしていたのだが、プレイせずじまいだった。
まさか20年経って触れることになるとは。
マティアは欲情するほどかわゆかった。

この物語では、白い羽根を持つ天使と黒い羽根を持つ悪魔が種族として存在するファンタジーの世界観となっている。
そしてそれは、人々の宗教的価値観に強く根付いている。

天使は悪魔を払う存在として、人々に崇められ敬われている。
対して悪魔は人をたぶらかし、生き血をすする忌むべき存在として認識されている。

悪魔を狩る天使を教義とする信仰。
世界を管理する『プロデヴォン教団』とは。
ガチガチの右翼思想のグリシナさん。
ツンデレ疑惑。

そして、着目すべきは、あるべき色や型から外れた者も『規格外』『異端者』として純粋なものと区別する思想があることだ。

生々しいことに、快くはおもっていないものの自分たちに都合が良かったり権威のある者の指示で仕方なく共存をしている節がある。

だが、自分たちに不利益があると『やはり異端は異端。滅ぶべき』という言動が見受けられる。

ただ個人差もあり、悪魔と関わりを持っただけで穢れとする者や子どもだから命を奪うことに抵抗を感じる者などもいる。

人間はとかく『よく分からないモノ』に不安や恐怖を覚えるという。

対象に名前を与えるのは、記号として便利という以外に名付けることでイメージを固定し安心する側面があるらしい。

なにかと分類したがるのも、『分かったような気になれる』ところがあるからなのかもしれない。
曰く、~系、~型、~属、~人、etc……

そういったとき、どちらにも区分できないような存在は目の上のたんこぶ(意味合ってるのか?)として気に障るのかもしれない。

かつて職場の人に「じゃあお前は敵か」と言われたことがある。
この世界を敵と味方に分割出来たらどれだけ楽だろうか。

人は色んな考え方や事情がある。
その上、ディスコミュニケーションという誤解、すれ違いがよくある。

むかつくこともある。
でも、話していて楽しいとおもったり、助けてもらうこともある。
とおもったらまたむかつく。

たいてい利害関係がある。

単純な白黒の話でもない。
まあ、中にはどうしようもないこともあるが。

敵か味方か、なんていうのは、関係性の極北ともいえる終着点だ。
もうそうなったら奪うか、奪われるかしかない。(状況によるが逃げるという選択肢も時に有効だが)


また、人間は知覚できる情報の約8割を視覚情報に依存しているともいう。

これは、事実上、対象を認識・理解・定義することの8割を『見た目で判断している』とも言えないだろうか。

見た目の醜美が社会的優位に影響があるのは実感を伴っていることかとおもう。

件のゲームの世界では、翼の色、数、純度で善悪を判別している。

現実に蔓延る創作のキャラクターは美形が多い。肌の色以前に醜美にツッコまんのかい。
多くの人がそれを求めているからだ。

味が変わらなくても、見た目に劣る食品は規格外として価格が下がる(もしくは廃棄される)。
それは、消費者が選択した結果だ。

人を見た目で判断してはいけないといいつつ、僕たちは髪型や髪色、肌の色、服装、体型で印象を持つ。
国籍、人種、出身、宗教といった所属組織の属性としてカテゴライズする。
それは個の本質ではないにも関わらず。

明日目覚めて、愛する人がゴキブリになっていたら。
大切な家族、友人がエイリアンになっていたら。
変わらず接することができるだろうか。

正直僕は自信がない。
というか、前提として愛する人がいない。



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