シリーズものに求められること。
『らしさ』という期待感。
ゲーム販売会社が続編を出すのは、売り上げがある程度見込めるからだとなにかで読んだ気がする。
とある作品が売れると、それを好きな人が続編や外伝を買いやすいという。
人気シリーズなんて言葉があるように、買う人はその作品群に対して『らしさ』という期待感を抱いている。
会社もそれを期待して、続編や古い作品のリメイクなどを発売する。
そして、時として批判されたりする。
『コレジャナイ感』
である。
イラストレーターが変わったとか、シナリオが改悪されたとか、キャラ崩壊とか解釈違いとか、システム刷新とか。
これは、そもそも作り方を変えた以外にもスタッフ変更などや会社を吸収した親元からの指示とかまあいろいろあるのだろう。
ふと、自分がシリーズ物を購入していた時、どんな『らしさ』を期待していたのだろうとおもう。
単純に面白かったから、同じタイトルならきっと面白いに違いないくらいだったろうか。
あくまで自身の少ない経験による主観だが、シリーズものは良くて当たり前で悪い時だけ評価が広がり目立つのかもしれない。
例としては少ないかもしれないが、後になってから再評価された作品もあるし、
単体作品としてみればじゅうぶん良作でも、シリーズファンから不評を買うこともある。
ストーリー重視のジャンルは特にキャラクター改変、不快なキャラなどで槍玉に上がりやすい印象だ。
シリーズ関連ということは、なにかしらの共通項がある。
それが特定のクリエイターなのか、キャラなのか、世界観なのか、システムなのか、イズムといわれる精神性なのかは異なるにしろ。
人気看板シリーズというのは、そういったプレイヤーの期待を背負っている。
とある開発者が作品の名前にはこだわりはなくて、自分が作ったものなら同じ『ニオイ』になるだろうといったコメントをしていた。
それを見て、実に『開発者目線』な発言だと今になっておもう。(悪い意味ではない)
本質的には、この『ニオイ』と『らしさ』は同じものである。
そして、一部の名の知れたクリエイターにとっては、シリーズ名と自分の名前は同一に近い。
ただ、クリエイターの名前以上に作品シリーズの名前というものは、一般認知がある。
そして、ファンにとってもシリーズの名を冠するものに対するイメージがある。
ブランドもののバッグなどと似たような感じだろうか。
そのブランドの名前に対するクオリティーや信頼、期待感が購入者にとっての判断材料なのだ。
プレイヤーがシリーズに求めるものと、販売会社の意向、スタッフの新しいものを作りたいという想い。
様々な思惑があり、一致するのは難しいのかもしれない。
たとえ一致したとしても、結果としてプレイヤーが満足したものになるかはまた別の話でもある。
そんな中で、ある種の奇跡的ともいえるシリーズ作品での『らしさ』に出会えることを有り難くおもう。
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