創作スタイルに正解はあるのか。それができりゃ苦労はしねえ!
実は1月初め頃から、一日一回note記事を投稿し続けている。
なんか最初の頃はネタがあってトントン書いていたら、
『○○日連続投稿おめでとうございます!』
的なメッセージが現れた。
現れたんです。
実績の魔物が。
まるで、ソシャゲのログインボーナスの如く、スタミナの如く、太鼓の達人のフルコンボの如く、記録が更新されればされるほど切らしてはいけない、伸ばし続けなければという一種の強迫観念のようなものが生まれた。
しかし、ネタも切れるものである。
旧Twitterとnoteをやってみて感じた違い。の記事でも書いたように、テキトーなことを書いて繋ぐのもなんだかなという気がしていた。
書くならそれなりに読める記事を、という意識が働いている。
楽しくもあるのだが、半ば義務感のようなものが発生しているのが悩みの種だ。
旧Twitterで数字に振り回されて、ここでも数字に囚われるのか俺は。
好きなゲーム、漫画や創作の話なら書けることもあるが、それなりに読めるという条件は自分にとってなかなかの制約だ。え? 大して面白くもないだと? 表に出ろ
んで、最近になっておもったのだが、ネタは出るときは続けていくつか記事になるときと全くでないときの波というか偏りを感じた。
よく創作のエターナル対策として先人が『毎日すこしずつ継続しようね』とか『習慣が大事』とありがたいお言葉を残している。
全くもって正しくてその通りだとおもう。
自分が気分屋なのだろうか。
そういえば、最近は全く絵を描いてないが、旧Twitter時代は、フォロワーさんの作品のファンアートとか12時間ぶっ続けで描いたこともあった。(少なくとも)表面上は喜んでもらえるのがうれしかった。
その頃は毎日のように(ラフだが)上げていた。
反応を貰えるというのがうれしかったのだと今ではおもう。
もちろん、絵を描くことは好きだったけど。
このログインボーナスを維持するために結果的に記事を継続するという状態にはなっている。
だが、半ば強制的ともいえるこの状況は果たして良いことなのだろうかと疑問もある。
うまく書けたとおもえたときはうれしいので、挑戦的な意味で行けるとこまでいってみようかとおもう。え? 大して面白くもないだと? 表に出ろ
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