高低差が生み出す上下関係。
魂を重力に引かれた世界。
僕の住んでいる村は水田を有している家がいくつかある。
田んぼというのは、農業用水路というところから水を取り入れて稲を育てるわけで、水がなければ困るわけだ。
そして、その水は上流から下流へと、重力に従い高いところから低いところへと流れる。
水路と水は集落ごとの範囲内において管理される。
そのため極端な話、上流で塞き止められてしまうと下流には水が来ない。
逆に下流でなにかあったところで、上流には影響はない。
水は上から下に流れるからだ。
米が金とニアリーイコールな時代ほどではないにしろ、現代でも専業農家であれば生活に関わるし、兼業農家であっても自分ちで食べたり売ったりする米が作れなくなる。
僕の村の上流に位置する集落とは隣関係にあるのだが、毎年行われる水路掃除が7対3の割合で僕の村が上流の村の範囲も掃除している。
聞いたところによると、昔、水を使わせて貰うことを条件に掃除を割り増し負担しているらしい。
集落が高い位置にあるか低い位置にあるかということは、生活そのものに関わる重要事項なのだ。
思い返してみれば、様々なところでこの物理的な高低差というのは見受けられる。
僕の好きなSRPGでも相手より高い位置を取ることは戦術的に有利だ。
戦国時代の城が高く建てられるのも、相手の弓が届きにくく、こちらが攻めやすいからだという。
神社仏閣というのは、高いところに建てられる。神様仏様の住まう天に近い場所だ。
タワマンの最上階に住めば、眺めも日当たりも良く、蚊も入ってきにくい。
とかく、この世は『高い場所』が恩恵を受ける理がある。
デメリットといえば、足を踏み外して落下することくらいだろう。
落下ダメージは、高さに比例して大きくなるのだから。
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