罠の本質。

             コミュニケーションである。


罠というと、人間が害獣や害虫相手に捕まえるために仕掛けたり、同じ人間を陥れるために仕掛けたりする。
それは、相手との駆け引き、すなわちコミュニケーションである。

対戦ゲームの好みの記事でも書いたが、個人の技能を競う以外に  相手に干渉し合い有利になろうとする心理戦としての楽しみがある。
そして、まさしくそれは「罠」と形容しうる概念である。

そのまま仕掛けたら警戒されてしまう。
エサをぶら下げてみるのはどうだろう?
葉っぱで隠して落とし穴にしたら?
ダミーを用意して本命を?

相手も考える。
見え見えの罠が怪しい。
避けると見越して連携が?
そもそも警戒していることが既に…?


相手の思考を読み、攻防が繰り返される。
真剣に相手のことを考えなければならない。
それこそが駆け引きとしての対戦ゲームであり、罠である。
罠とは、コミュニケーションなのだ。

昔、とあるフリーゲームにて「避けられない罠は美しくない」というセリフを口にしたキャラがいた。
その時は必中不可避では罠とは言えないのだろう程度にしか感じなかった。

しかし、色々と経験を積んだ今思う。
対戦ゲームの好みの記事でも書いたが、一方通行では対戦ゲームとは言えない。
すなわち、罠とは言えない。

掛かるも掛からないも相手次第。
高度な罠ならより掛かる確率は高まる。
だが、それでも相手がその上を行けば罠は回避できる。

罠とは、相手の思考を読み合い、行動し合うコミュニケーションなのである。


※余談
かつて、ひぐらしのなく頃にのプレイステーション2移植版が発売された頃のインタビュー記事で作者の竜騎士07氏が言っていた。

作中で沙都子という主人公に罠を仕掛けるキャラがいるのだが、作者が好きなゲームである影牢というトラップアクションゲームの影響を受けている(意訳)とのことだった。

該当ゲームでは残念ながらAIがあまり賢くないためコンボゲームとしての様相が強い。
ただ、ひぐらし本編において、沙都子というキャラは「トラップは愛でできている(意訳)」というセリフを言う。

相手はどう考えるかな、思うかな、と真剣に考え、掛かる様を楽しみに想像すること。
それは、愛という名の相手との関係性としてのコミュニケーションであるのかもしれない。
与えるだけの一方通行の愛ではなく、相手のリアクションを喜びとした双方向性を持つ遊びなのだろう。

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