命中率不要論について考える。
しかし えぬけーのこうげきは はずれた!
かなり昔の話になるが、旧Twitter(現X)にてゲームの命中率不要論的なツイートを見たような気がする。RPGだったか、SRPGだったか忘れたが。
特にSRPGはゲームタイトルにもよるけど、攻撃前に命中率が表示されたりすることがある。
んで、85%とか微妙なラインが来る。
ゲームの確率と長く付き合ってきたゲーマーなら、いかにこの85%という数値が一見高いようでいて信用ならないか というのが身に染みておられることかとおもう。
理屈でいえば100回中85回当たって15回外れる計算になる。
一般的な感覚でいえば、十分及第点だろうかとおもうがゲームの世界では不安感が強い。
100回という全体よりも、目先の一回で見てるから、ゼロかイチかという感覚になるところもあるとおもうが。
この問題(不要論)は、ゲームバランス的な面とストレス面でのふたつの理由によるものだと考えられる。
難易度がシビアになればなるほど、一手の重みは増していく。
そんな中では、『当たる前提』での攻略法をプレイヤーは模索している。
そして、長期的であるほど安定した結果の積み重ねで進めていきたくなる。
確定要素を足掛かりにすることで、目的により確実に近づいていくからだ。
そして、一手のほころびからすべてが瓦解する恐怖がある。
野球のプレイングでも、常にホームラン狙いでいくより手堅くバントで当てていくという戦略は勝つ上で至極真っ当だ。
野球は興行エンターテイメント的な側面が強いからして、ホームランが盛り上がるというのはある。
だが、勝利するためには確実に点に繋がる一手、すなわち当てることか求められる。
ストレス面では、ジャンルによるところが大きいとおもわれる。
特にターン制のRPGで行動回数が少ないものは、攻撃から攻撃の時間が長く(演出が長いと尚更)、外すとストレス性が強い。
少数対敵多数というシチュエーションで倒せるはずの敵を倒せず外してしまうと叫びたくなる。まじんのかなづちかな?
逆に、アクションゲームなどで短い時間に何度も攻撃するようなタイプだと、比較的ストレスは少ないとおもわれる。
それに、アクションゲームは確率でなくプレイングスキルによるエイムである。
故に、よほど理不尽でなければ当てるも外すもプレイヤー次第という納得性がある。
FPSなどは、それこそ当てることがゲーム性なので必中化すれば破綻する。
余談だが、スクロールシューティングゲームは歴史の過程でエイム、すなわち狙い撃ちの要素をなくしていった。
ユーザーの声に応えた結果なのかはわからないが。
初期のコンピューター(アーケード)ゲームはシューティングが多かったわけだが、固定画面のものにおいていわゆる祭りの射的ゲームのようなものがあった。
的に狙いをつけて、いかに多く当てるかというあそびだ。
社会現象となったインベーダーゲーム(ゲームをあそばない70代の人間ですらインベーダーハウスの存在を認知しているレジェンドだ)も、横に下に移動してくる敵を単発の弾で狙い撃つシンプルなゲームデザインだ。
これは、アーケードでギャラガくらいまでヒット率という評価値として残っていたが、
その後のスクロールシューティングは、倒した敵毎の点数、スコアというカタチに落ち着いた。
ゲームの神様、遠藤氏が関わったゼビウスでも、単射の地上攻撃、連射性能の低い対空攻撃で上手く狙い撃つ必要はあった。
おそらくスターフォースを皮切りとして、連射がデフォルトになると、的に当てるゲーム性はスクロールシューティングから姿を消した。(ガンシューティグとかは一時期流行ったかなあ。カッコいいよね2丁拳銃)
これは、外してしまうリスクというストレスの中で当てる達成感よりも、破壊の爽快感が望まれた流れであったのかとおもう。
(シューターにシューティングの好きなところを聞くと、たいてい爽快感が挙がる)
では、RPGやSRPGなどでは命中率はなくてもいいのだろうか?
大切なのは、その要素が面白さに寄与しているか否かという一点である。
面白ければ採用すべきだし、面白くないならなくしたほうが良い。(いや、好きだから入れるのも自由という名の正義なんだけど)
SRPGというジャンルには、キャラクターや武器の能力として命中率があり、それが高いことは強さの基準でもある。
それをなくすということは、必然的に回避率もなくなる。
作品によるところはあるが、RPGで命中率や回避率を意識した攻略をどれほどするだろうか。
お飾り能力値になっていることも珍しくない。(魔法防御もな)
FF2のような重要度を持つのはレアケースだろう。
あそんだ作品の中では、ポケモンが上手く扱えていたと感じる。
初代の話になるが(まあ今もそうだとおもうが)、技により命中率が様々に設定されていた。
そして、概ねその効果に応じて
高い威力なら低い命中率で。
低い威力なら高い命中率で。
バランスが取られていたとおもう。
ポケモンは対戦が盛んに行われていて、ポケモンや技の構成に頭を悩ますことになり、それが醍醐味でもある。
そんな中、技を選ぶ時に命中率というのは一つの判断材料になる。
やはり、100%のものを選びたくなる。
本編以上に対戦では一手の重みがある。
1ターンたりとも無駄にできない。
命中率70%だからダメージも70%というのは100回使ったときの期待値だ。
1ターンの時間において、当てるか外すかというのは1か0かの違いがある。
当然、100%のものが選ばれやすい。
であるなら、ポケモンも命中率の概念をなくしたほうが良いのだろうか?
答えはノーである。
それは、ポケモン対戦の本質が心理的な読み合い、すなわち不確定性に依るからだ。
原則安定した攻撃で戦略を組み立てていくことは違いない。
だが、安定した戦略は同時に可能性の限界も安定させる。
あとすこしのHPが勝敗を分けることがある。
100%命中技の威力では届かない時。
そうなると、100%命中の技より威力は高いが命中率が劣る技の価値が生まれる。
当たるが勝てない攻撃よりも、70%でも当たれば倒せる、勝てるなら使う価値は十分にある。
ポケモンには当たれば一撃で倒せる技があるが、これも同様だ。
30%という普通のRPGなら話にもならない低命中率だが、ポケモンは相性や素早さの関係でどうしても勝ち目がゼロに等しい状況がある。
それが、3割の確率で勝てるのだから、賭けるに値するギャンブルだ。
2回続けて使えるなら期待値は5割になる。
イーブンにまで持ち込めるのだ。
そして、回避率を上げる技も初代公式大会で猛威をふるった(というか流行った)。
上昇値が大きかったこと、入れ替えシステムなどの仕様により有効な戦略であったこともあるが、ひとえに命中率が存在するが故に、その重みがある故に効果的だったからだ。
別のアプローチとして、命中率を上げていく、というのもある。
これは、命中率を固定値として扱わず、状況によって変動させていくというものだ。
例えば、命中率を上昇させる技を合わせて使ったり、素早さや器用さで命中回避を増減させ、相手や攻撃するキャラ、技を使い分けて当てる工夫を攻略にするデザイン。
これは、『耐久力はあるけど遅い敵』に『高威力だけど低命中技』を当てやすかったり、『耐久力は低いけど回避率が高い敵』に『威力は低いけど高命中率の技』を当てて倒すといった、戦略、敵、キャラ、技の個性が広がり、それによって攻略の工夫も生まれるというものだ。
SRPGでも、指揮官の指揮範囲で攻撃したり、スキルで命中を上げたり敵の回避を下げたり、三すくみで有利な武器で仕掛けたりすることで命中率を上げていくことができる。
以前書いたフロントミッション2のAPシステムなども過程では外れるが、当たるようにしていくという意味では本質的に同じものだ。
僕の大好きなサモンナイトシリーズでは、TECという命中回避を変える能力値に加え、待機型という格闘攻撃を避けやすいとか、射撃を避けやすいとかスキルがあって(どちらかしか選べない)、相手の待機型に応じて攻撃のタイプを使い分けていく攻略になっている。
これらの例のように、命中率(回避率)というのは、ゲームバランスやシチュエーション、
当てるための工夫といったものが上手く機能すれば面白さに繋がる。
逆に言えば、なんとなくあるから、という理由で実装するとストレスやバランス崩壊に繋がりかねない。
どんなことでもいえるが、やり方次第なのだ。
歴史があるというのは、慣例だからというだけでなく、そうなるだけの理由があることもある。
ネットを見ていると、状況の不確定性は歓迎されても、結果の不確定性は忌避される傾向があるというムーブメントがあるらしい。
ただ、ギャンブルというのはひとつのあそびであるし、賭ける判断という考える楽しみは存在する。
画一的に、ありかなしかという判断では、あそびの多様性が損なわれるのではないかとおもうのだ。
とはいえ、時代といえばそれまでかもしれない。
古典的なRPGはギャンブル性が強かったが、最近は(ガチャ以外では)パズル性が強いデザイン、パターンゲー、覚えゲーが増えている印象もある。
令和はタイパコスパ、速さ、効率、最適解のストレスフリーが主流だ。
加えて、確実性も。
主語がでかかったかなあ。
まあ、声が大きいものを拡大解釈してる感もあるので、話半分ということでひとつ。
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