表現形式としてのノベルゲーム。その特異性。

                             意思決定。
               対比シーンとしての構造。
                    ループする音の空間。


世の中にはいろんな表現がある。

ある人は絵で。
ある人は文で。
ある人は音で。
ある人は形で。

そんな中、物語を作りたいという人たちがいた。

ある人は小説で。
ある人は漫画で。
ある人は動画で。

数ある表現の中で、なぜノベルゲームなのだろうか。

単純に好きだから。

大事なことだ。
でも、すこし理由について考えてみる。


1.プレイヤーに最適化されたペース

ノベルゲームとは、原則文字で物語が進行していく。
キャラクターのセリフと、心理描写や情景描写の地の文で構成される。

そして、これらはテキストと呼ばれ、ゲーム画面上の表示領域に現れる。
表示できる文字数には限界があるから、ボタンを押す(クリック、タップ)ことで今まで出ていた文章が消え、続きの文章が現れる。

ノベルゲームや小説、漫画などがアニメーション、映画などと異なる最大の点は物語の進行を製作者が握っているか、視聴者が握っているかにある。

動画やアニメは、一度見始めれば「自動的に」物語は進んでいく。
対して小説や漫画などは、読者が「自分のペースで読み進める」。
ページをめくらなければ永遠に物語は進まない。

これはどちらが優れているという話でなく、見方、見せ方によることである。

製作者が間やテンポをコントロールしているということは、「こう見せたい」という演出上の都合が良い。
対して、読者が読み進めるのは「自分の中で咀嚼して進められる」という利点がある。
漫画などがアニメ化した時などに、感じる違和感のようなもの、間、といわれるものの違いがある。

ペースというものは、人により変わる。
読むのが早い人もいれば遅い人もいるだろう。
物語の場面によっても違うだろう。

現行技術では、オートモードは速度変更が可能であるとはいえ一律だ。

プレイヤーの脳が「読んだ」と判別するような技術革新が起きれば変わるかもしれないが、状況に応じて進む速度を変えるのは現状プレイヤーのデバイス入力が最適解であると感じる。

もしくは、文字以外の表現法。
以前の記事にも書いたが、ノベルゲームはその拡張性の高さが特徴でもある。

ライブ2Dや動画などの動きのある演出表現を採り入れた作品もある。
相対的にテキスト比重が減れば、この辺りの事情も変わってくるのかもしれない。

ただ個人的には「ノベル(小説の意)」ゲームとあるように文字での表現が基礎、根っこにあるジャンルではあると思う。

ゲームではないと批判される時のカウンターとして分岐が挙げられることが多いが、基礎的な構造部分として、プレイヤーによる文字送りが意思決定を尊重している。

それだけではゲームとは言い難いが、能動性があることもまたノベルゲームの原点とも言える。

※捕捉
早いにしろ遅いにしろ、どんな文章でも一定速度で読めて、かつその速度域がオプションの変域内に収まっているプレイヤーなら、オーモードは福音ともいえる機能だ。
クリックから解放されてらくちんだ。(まあ選択肢あるとそこだけは別だが)
両手が使える。
素晴らしいと思わないか?


2.切り取られた特別な瞬間

ノベルゲームには1枚絵という概念がある。
俗っぽくいえば、イベントスチルとかいうヤツだ。
小説でいうところの挿し絵みたいなものと考えてもいいだろう。
キャラクターの初登場シーン、物語のクライマックス、エンディングなど節目のイベントに差し込まれることが多い。

普段ノベルゲームは、立ち絵とよばれるキャラクターの汎用イラストと背景の組み合わせで進行するが、特定のイベントシーンでは書き下ろしの1枚絵が画面全体に応じて表示される。

BGMという音楽の演出も加わったそれは、連続した瞬間の特別な時を切り取る。
いつもは使われず、ここぞという見せ場に使われるからこそ、深く印象に残る。

これは、マンガの大ゴマ、見開き的なものだと思う。
コマのように、サイズの対比はないが、通常シーンの立ち絵や背景との関係がそれに当たるだろうか。

記憶に残るシーン。
見せ場の名シーン。
コントラストによって強調された1枚絵は、プレイヤーにとっての「思い出の1枚」だ。


3.無限ループするBGM。音の空間。

1.にも関連することだが、ノベルゲームではいわゆるBGM、場面に応じて音楽が流れる。
時に環境音楽だったりする。

そしてそれは、プレイヤーがテキストを送ることで切り替わる。
つまり、押さなければ(作品の仕様によるが)無限にループし続ける。

個人的な感覚なのかもしれないが、そういう時、その場に不思議な雰囲気を感じる。
永遠に流れ続ける音に作られた空間のようなものを意識する。

小難しく書いたが、たとえば、ノベルゲームをやっていて、好きなシーンなどがあったとき、クリックする手を止めてその雰囲気、音によって演出された場を味わい続けた経験がないだろうか?

アドベンチャーゲームでもいい。
なんかこの場所好きだな。
ずっと続く雨の音とか。
絨毯を歩くごすごすって音とか。
プレイヤーがその場にいたいと思えば好きなだけ味わえる。
勝手に進んだりしない。
そんな不思議な音の空間形成を感じる。

ノベルゲームには音の空間がある。
身を任せて浸っていたくなるような。
空気、雰囲気、世界観。
無限に繰り返される音が、それを強く感じさせてくれる。


いくつか特徴を挙げてきたが、どれもそのプレイヤーの意思決定、能動性と関連していることが分かる。
「ゲーム」とつくだけに、ジャンル形成期から連綿と続くアイデンティティーのようなものなのかもしれない。

ただ、既に記したようにノベルゲームは拡張性の高さも同時に有している。
ある種の独特の型を持ちながら、それに囚われない自由度を内包している。
実に稀有で特異な存在だと感じる。

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