間違いを許さない最適解で作られた世界。

              最善手というストレスフリー。
        失敗を排斥した世界の先にあるもの。


ループものの世界で周回しているキャラクターがアドバンテージを有しているのは、この失敗の経験則という情報の蓄積故である。

メタいことを言えば、初見○しやバットエンド確定選択肢をリプレイで回避することだ。

現実世界ではループはできないが、若い頃からいろいろ経験して失敗という名の蓄積がある人は様々なシーンで応用が活きていると感じる。

よく言われる発明家の

「うまくいかないということが分かった」

である。

失敗は発明の母であり、彼らにとって失敗は成功へ至るプロセスとして重要なものなのだ。


もちろん、世の中には取り返しの付かない失敗(過ち)がある。

なので、都合の良い言葉を使うが『許容範囲内で』ガンガン失敗したほうが良い。

特に、若い内は判断力のある大人(先輩)の教えを守りつつ、積極的にトライすると良い。
大人になってからの失敗はなにかとやりづらいからだ。

そしてこれは、現実の話のみならず、創作の物語においても大切なことだ。

昨今、やらかしや戦犯などと(半ばネタだろうが)最善手をとらないキャラクターを忌避する傾向があると聞く。

昔のような脳筋キャラは減り、直情的なパワータイプですらある程度の地頭の良さを持っている。

そして、間違えない、失敗しない、最適解をとり続けることが求められるのだと。

仮にもしこれがガチだとすると、色んな意味でおそろしい。

ひとつは過ちを許さない潔癖で行き過ぎた世界にならないかという心配だ。

もちろん許されない過ちはある。

だが、原則的に人は間違える。
完璧ではないからだ。
そして、許容範囲内で許しあっていくものだ。

ミスからのリカバリー、転ばない方法や立ち上がりかたなども通して学んでいく。


サモンナイト4より。
大切なことを教えてくれる。


そして個人的な感想だが、完璧超人なキャラクターに僕は魅力を感じない。

いや、昔は憧れていたし、今でもひとつのキャラクター性としては好きである。(それでもなにかしらの弱さはほしいが、敵ならアリかな?)

正確には、主人公としての魅力を感じない、がより的を得ている。

メインで活躍するキャラクターに興味が持てないと見ているのがつらくなってくる。
(ストレスを感じるという意味では完璧を求める人と同じとも言える)

キャラクターに完璧さとしての憧れを求めるのか、それとも同じ過ちを犯す心を持つ者として共感を得たいのか、このあたりに違いはありそうかと考えている。

あくまで創作の中の話として、キャラクターの精神的な未熟さや賢さに対してストレスを感じるから見たくないという風潮なのかもしれない。

あるいは、ネタにして笑いたいというだけのことなのかもしれない。


自己を省みたり他者を思いやる意味だ。
決して不快だからとか、粗探しのことではない。


時代が変わっても人の本質は変わらないとおもうが、風潮や流れ、気運など社会的な圧力というものは常に存在し続けていた歴史がある。


これから、どういった『時代』がくるのだろうか。


なんかインテリぶった文章が鼻に付くな。


※2024.3.9
画像、コメント追加。
改行処理。

※2024.3.3
初稿。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?