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一般の普通の人が天堂天彦の“セクシー”を本気(マジ)にパッションしてみた
昨晩ボボンガリンガ天彦と運命の出逢いを果たした一般の普通の人(究極-ultimate-にわか)が、天堂天彦のセクシーを本気にパッションしてみた
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日々の活力が薄れ、眠れぬ時間だけが積み重なる鬱々とした夜
突如現れた一筋の光……
ボボンガリンガ♪ボボンガリンガ♪
なぜ聴こうと思ったのか、正直覚えていない
それ程にぼんやりと怠惰を肥やしていた
しかし彼の歌を聴けば聴くほど、心が穏やかになっていく……
なぜか腹の底から、自分という性(サガ)がみなぎってくる
ある時、感じた……
彼は 悟り に近い存在だ……
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前置きはほっときまして
本題の天堂天彦のセクシーをパッションした結果。
【セクシーその1】
ボボンガリンガ視聴後、
議題「セクシーとはなんぞや」
で脳内会議していた時、上がったのが
―――赤ちゃんこそが、SEXY‼な至高の存在
セクシーな彼が
愛するセクシーな人の
出産に立ち会うことが
彼にとって最も尊いこの世のsexyであり、
彼にとってのtake no break
かもしれない……―――
でしたが
いや、違うなと思い止まりました。
というのも
#35セクシー相談室の、理解くんとのやりとりで
天彦は、何も知らない、純粋は、「エロい」という言葉を使っていたんです。
=赤ちゃんはエロい ???
「エロい」は状態で
彼にとってのエロいとセクシーは違うっぽい。
会議中にもう1つ上がったのが、
【セクシーその1】
性(サガ)を感じるのがセクシーなのか ???ということでした。
セクシーは表現で、
誰かの内なる性が見えた時にセクシーだと感じるのか ???
一瞬、パッションセクシーなのか?と過ぎったけど、
(某セクシーサンキュー的な。セクシーサンキューにしっかりとした意味があったら本当にすみません)
いや、奥深きセクシーだ。
(たかがセクシー、されどセクシー)
↑なぜこのように思ったかというのが、
ボボンガリンガの歌詞にも色々散りばめられていますが、
気になるワードがちらほらあったんですよね。
「変わったセクシーがあったもんですね」「新種のセクシー」
(#45CLUB天彦より)
「兄はセクシーだから医者になった」
「この家の住民の皆さんはほんっとうにセクシーだ、好きです、尊敬しています」(#48インタビュー天彦より)
天堂天彦の表現するこのような言葉たちから
生まれたままの自分の個性を、
社会の蓑に隠しもせず
否定せず
究極の自分を、ありのままに表現すること
それがセクシーなのかもしれないと感じました。
自分道、自分を極めるのに“雑念がない”こと
というのが、天彦セクシーセンサーの琴線に触れるか触れないかの微妙なラインなのかもしれません。(好き勝手言ってます)
もし誰かが、ファッションを心から愛していて、それが自分のアイデンティティなら、愛するファションで自分を纏っていること。
それがセクシー!!!
……みたいな
天彦はそれぞれのセクシーに生命の尊さを見ているのだろうなと。
個性を大切にする人だと思うので、
彼は自分のセクシーを止めることができない、表現しているだけであって、
本当の意味で誰かを巻き込んだり強要はしていないだろうなと思います。
(本当に好き勝手言ってます)
天彦は急にポールダンスしだしたり、脱ぎだしたりしている描写があるので
受け取る側も世間一般のセクシーに囚われてしまいがちかもしれないけれど
天堂天彦がセクシーだと感じている物事は
一般的に規制音が入るようなこととかではなく、天堂天彦自身がセクシーと感じる物事なんだろうなと
個人的に感じてます。
セクシーだから愛しているのではない。
天彦はただ愛しているだけなのだ。的な
天彦は、自分のセクシーだと感じる事と世のセクシーが近しいものだったために、性のカリスマなのかもしれない
彼の表現するセクシーがセクシーではなかったら、もしかしたら性のカリスマではなく、別のカリスマだったのかもしれない……
なんてのも、ちょっと感じました。
自分と他人との違いを知り、自分を突き詰め洗練していき、
まっさらな自分に帰る時
この世に生まれ落ちた皆、己のカリスマ
そんな大切なことを天堂天彦から教わりました。
ありがとう、セクシー
ありがとう、ワールドセクシーアンバサダー
ありがとう、世界セクシー大使
ありがとう、天堂天彦
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