幸せの天秤の対価

私は最底辺の人間だ。
借金が大量にあり、精神病で定職には5年ほど就けず、風俗で日銭を稼ぐ最底辺の人間。

でも、これは世の中の仕組みなのだ。

世の中には愛されている人間、富んだ人間、幸せな人間がいる。
でもそれはほんの僅かで、それは沢山の不幸の上で成り立っている。

幸せな人間なんてごく僅かだ。
その下には沢山の不幸がある。

富んだ人間の割合の何倍も、というよりその富を支えるかの如く貧困に喘ぐ人間がいる。

社会はこういう仕組みなのだ。

誰かがもらう愛の代わりに、私を愛する人はいないし
誰かが得る大金の代わりに、私に回ってくるお金はごくごく僅かしかないし
誰かが幸せな代わりに、私には多くの不幸が降り積もってくる。

世の中は何事もピラミッドみたいになっていて、私はその最底辺を担っている。

私はたまたま『そっち側』の人間として生まれてしまった、それだけなのだ。

私がどれだけ真面目に生きてきても、努力して何も悪いことをせず、真っ直ぐに育ってきたとしても
私はもうそっち側の人間として立つことが決まってしまった。

今日も私は誰かの幸せの代わりに誰かの不幸を引き受ける。

何か悪いことをしたわけじゃない。
たまたま、そう、だっただけなのだ。

幸せの天秤のバランスを取るには多くの不幸を乗せなくてはいけない。

神様なんていないと思ってるけど
ねえ神様、私は真面目に真っ直ぐ生きてきました。
学生時代は苦手ながらも一生懸命勉強して、部活動も必死にして、周囲の大人から期待されるような人間でした。
新卒で入った会社もメンタルが壊れるまで必死に働いてきました。

なのにこっち側なんですか?
私の今までの努力は、生きてきた意味はなんなんですか?

これがあり得ているんだから、やっぱり神様なんていないね。


今日もお客さんのつかない風俗の待機場から、不幸を込めて。

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