見出し画像

チープでメモ的な勝手に哲学 #006

ミュージシャンでは岡村靖幸が一番好きである。

そういうと、概ね失笑を買う。

なぜなんだ?
なぜ、バカにするような目で見られるのか。

高校生の頃からずっと思ってきた。

でも、なぜ自分は岡村靖幸が好きなのだろう。

これまで「好きなもんは好きなんだから、そこに理屈なんぞねえ!」っていう、
考えることを放棄したい時に使う常套句でゴマかしてきたことを
ちょこっと哲学してみる。

岡村靖幸は自分が初めて「こいつは本物の『アーティスト』だ!」と感じた人だった。
それは覚えている。

たまたま観た深夜のテレビ番組で
確か『Out of Blue』のPVだったと思うが、それを観てめちゃめちゃ衝撃を受けた。

その頃、自分はかなり本気で「アーティスト」になりたいと思っていた。
幼年期からちょっと他の子とは自分が違っていると感じていたこともあり、
ひょっとしたら自分もアーティストになれるのではないかと思い始めた頃だ。

そのうちに絵画でも音楽でも文学でもいいから、
アーティストと呼ばれる人種になろうと必死になっていた。

しかし、必死になっているのは気持ちだけで
実践が伴わなかった。

そんな状況にイライラしていた時に
岡村靖幸に出会ったのである。

そして、悟ってしまった。

「アーティストになりたいと思っている時点でアーティストではない」と。

本物のアーティストは、アーティストになりたいとか思っていないのに
アーティストになっちゃっているのである。

それを岡村靖幸が教えてくれたのだと思う。
俺にはアーティストになるため才能がない。

多分、そんな確信があって、
アーティストになりたい気持ちを封印したような気がする。

さて、その頃から40年近くが経つ。
しかし、俺はアーティストもどきにしかなれていない。
雑誌の編集者としてもパッとしなかったし。

で、こんなことを考えているうちに
いまだにアーティストになりたい自分を発見し
赤面しちゃっている。

と同時に、なりたいものがあったのに
そのために全く努力というものをしなかった自分に軽く殺意を抱いてしまう。

どんだけの歳月を費やして(無駄にした)きたのだろう。

あぁーーーー!
いつもこれを考えると自分に悔しいというか、憤りというか、
とにかくアーティストになっている人を見ると嫉妬感に征服されてしまう。

そんなメチャクチャな感情を今でも岡村靖幸にぶつけているのかも知れない。

つまり、アーティストいまだになりたい思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?