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中小企業診断士試験 2次筆記試験 ドキュメント 試験後

50代半ばのサラリーマン(メーカー勤務)。令和4年1月に思い立って中小企業診断士試験の勉強を開始。同年一次試験通過も、二次筆記試験で不合格。令和5年度 2度目の二次試験を通過し、無事合格となりました。

この記事は2度目の二次筆記試験終了後について書いたものです。


試験終了直後

事例4は、時間切れで終わりとなりましたが、すでに頭が酸欠状態で、半ば放心状態のまま会場を出ました。
出口付近で、勉強会の仲間と出会い、また予備校の人が配っている事例1の模範回答集を受け取り駅へ向かいました。
仲間との会話の話題は「あの問題どう答えた」となるわけですが、そのたびに自分の回答の不出来さに落ち込み、予備校の回答集を見てまた落ち込み、、と昨年同様気分が沈んだままの帰路となりました。

仲間は通っていた予備校での打ち上げに参加、私は奥さんと待ち合わせをし、プチ打ち上げを行いました。
放心状態のままで会話も味もよく覚えていないのですが、最後に「お願い、もう1年だけ受験続けさせて」と消えるような声で頭下げたの覚えています。

試験終了翌日から

一晩明けてから、再現答案の作成にかかりました。
試験中メモから答案用紙に記載後、大幅に書き直しした内容もあり、思い出すのに一苦労しましたが何とか完了。
LEC、EBA、AAS、MMC(有料)、SLC、あゆゆう師匠 など採点してもらえるところに送りまくり、その都度ひどい点数が戻ってきて落ち込んだりの繰り返しでした。(自分は実はドMなのではと思ってしまいます)

(予備校・再現答案採点サービスの点数)
【LEC】B,B,B,C
【EBA】A,C,C,B : B
【AAS】47,59,47,43 : 196
【MMC】49,57,53,49 : 208
【SLC】58,57,56,63: 232
【あゆゆうさん】56,58,60,52 : 227
(合格点は240点 Aが60点以上、Bが50点代、Cが40点代)

各採点結果を見て、不合格を確信し、これからどうしようかと悩み始めました。
Xを見るとすでに翌年の1次試験の準備を始める人もいます。
自分は次年度以降の事例4対策で、まずは簿記3級を12月中に取得、2級を2月ー3月頃に取得するプランを立てました。
基礎だからとなめてかかっていた3級は、苦戦しながらも、年内のCBT(Computer Based Testing)を受験し、無事合格できました。
暗かった気分を少しだけ回復できました。

またお世話になったタキプロ大阪リアル勉強会で「お疲れ様会」を開いていただき、参加しました。
指導に当たってくれた講師役の方、試験中一緒だった仲間も参加、二次試験あるあるの話題で盛り上がる楽しい会となりました。
参加者には養成課程を真剣に検討している受験生の方もいました。仕事しながら約半年以上学習・実習を取り組む覚悟を持つ人を見て、自分はそこまで中小企業診断士という仕事に対する熱意があるのだろうかと自問自答したりしました。(一方、養成課程も競争率が高く、既に狭き門になっている実態も伺えました)
楽しいお酒を過ごすうちに、かつての仲間と意気投合し、「いつか合格したら同じ班の3人で会社起こそう」という話題で盛り上がったりしました。

年末年始

子供の受験もあり、旅行とかも特にせず、自宅で静かに過ごしていました。簿記二級の勉強は続けるも、事例4とは違った専門的な内容も多く、本当に受験できるのだろか、、と悩んだりもしました。
年始、近所の神社の初詣で僅かなのぞみをかけておみくじを引いたところ「小吉」の結果(奥さんは「大吉」)。つまり簿記には通るが、診断士試験は一からやり直しだな、と邪推したりしました。
一方ニュースに流れる能登震災や羽田空港の事故火災の映像を見て、どんな1年になるのか、また憂鬱な気分にもなりました。

合格発表日

お正月休みも明け、仕事に復帰。簿記の朝勉を継続しながら1月11日の筆記試験合格発表日を冷静に迎えました。
わずかな期待を胸に、当日は在宅勤務を申請。10時頃はあえて予定を空けて中小企業診断士協会の合格発表ページにアクセスしました。

自分の受験番号あるわけないよな、、と大阪地区の発表ページを見ると、、

あった・・・・

え、嘘・・・見間違えじゃないよね。
たまたま出かける直前の奥さんを呼び戻し見てもらうと多分正しいだろうとのこと。喜びがこみ上げる一方、口述試験の準備を全然していないことに途方に暮れ、その日一日仕事になりませんでした(おいおい)。

(つづく)

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