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【アルツハイマー型オカンと「笑って暮らすぞ!」】その4 腰椎圧迫骨折


腰椎圧迫骨折。

オカン、初めての体験でした。
もちろん、がらやんも初めて。

骨折の痛みを知らないオカンとがらやん。
どうしたらいいのか、考えていたため、
病院に行くまでに、ちょっと時間がかかってしまいました。



ある日、どうも腰が痛くて動けない、
と連絡を受けたがらやんは、
オカンの家に言ったものの、
何をどうしてよいかわからず。
動けないなら、とりあえずにオムツつけとこうか、
おかゆとか食べとこうかとか、
できる範囲でいろいろ対処して
深夜0時すぎてから自宅に帰るも
4時ごろにオカンからオムツ変えてほしい、
気持ち悪いから何とかしてくれ、と電話。

あぁ、もうこれはきっと骨折で、救急車出動やな、
とおもったがらやんは、
朝5時すぎにオカンの家に行き119番。

このときもオカンは、
救急車呼ばなくてもそのうち治るから!
と言ってましたが、無視。

がらやん、オムツの取り換えやら、
ご飯作りに、毎日来られへんやん、
仕事もあるし、オカンひとりでどないするねん?と説得。

予想通り、搬送先の病院で骨折です、と診断されました。
腰椎圧迫骨折。
高齢者がちょっと無理して重いものをもったりすると
圧迫骨折を起こすんです、よくありますよ、とのこと。

治療方法は温存療法で、背骨は固定する必要があるので
しばらくは安静、入院になります、と。

この病院、結構スパルタ。
痛みが強すぎて寝返りを打てないのに
食事は横むいてひとりで頑張って食べてください、と。
オカンの希望で個室に入っていましたが、
誤嚥があったらどうするんだろう?
結果的には大丈夫でしたが、
この放置具合、なんだかなあ、でした。

看護師さんたち、決して冷たいわけではなく、
リハビリで院内を歩いていると
すごい!歩けてる!とか
いえーい!(ピースサイン)とか、
元気が出る声掛けをしてくださる方がたくさんいて、
それはそれで、オカンもがらやんも元気をもらえていました。

しかし、問題はオカン本人にも。

食事について、オカンのわがままが大勃発。
とにかく、まずい、毎回残り物が出ている、との思い込みで
ほとんど食べずに食事を返してしまう毎日。

残り物なんて絶対に出てないし、
栄養も考えてくれてる食事だから、
絶対大丈夫!しっかり食べて!
と半分怒りながら毎日オカンとケンカごしの言い合いに。

それでも、相当に頑固なオカンは、
何をどうやっても食べないまま入院生活が続きました。

あまりに食べないので、見かねた主治医から、
おにぎりとかでもいいので、
何かたべるもの持ってきてあげてもらえれば、と言われる始末。

しかし病院の食事がまずいわけではないので
(がらやん、ときどき味見しました)
オカンにちゃんと食べるよう、しつこく伝えて、
持ち込みをなるべくしないようにしていました。

こちらが何を言っても信じないオカン、
意地でも病院食を食べずすごし、
みるみる痩せ細って・・・

結果的に、退院時には15kgほど痩せていました。

もともとめちゃくちゃ太っていたので
適正体重に近づいたものの、
これは栄養失調に近いのでは?
と不安になっていたがらやん。

おかんの気の強さと
がらやんの気持ちの我慢比べ大会。
さすがに骨の成長も悪いかも、と
ちょこちょこ持ち込みはしていましたが
病院の食費を全額どぶにすててるような状態で、
経済的にもさることながら、
もったいない、という感覚がまるでないオカンに、
怒りやストレスがたまる毎日
でした。
なんでこんなにもったいないことができるのか、
食べるものを粗末にしたらあかんでしょ、と。

さらにそのころ、
仕事が超絶忙しかったがらやん。
早朝5:30~夜9:30すぎまで仕事、とか
しょっちゅうでしたので、
こんな状態のオカンを退院後どうやって面倒見たらいいんやろう、
と悶々としながら過ごしていました。

そして、入院から3か月近く過ぎたある日、
そろそろ退院の日を決めたい、と病院から電話が。

まだあと1か月ぐらい病院にいてもらわないと。
仕事がこれから1年で一番のピークを迎えるときに、
そんなこと言われましても、と心で思うがらやん。
しかし、規定ではもうそれ以上は入院できないこともわかっていたので、
しぶしぶ退院日を決めることに。

幸いなことに、思っていたより、
ずいぶんと元気になっていたオカン、
家の中のことは、だいたいできるぐらいに動けるようになっていたので、
中断していたヘルパーさんの事業所に連絡し、
また前と同じ方に来てもらえることになって、
がらやんの心配は半分ぐらいは杞憂におわりホッとしていました。

が、すこしホッとしたものの、
認知症はすこし進んでいたようで、
いくら約束しても、できないことが増えてきてしまっていました。

頭のどこかでそれを認識しつつも、
いや、まだ違う、認知症やない、これは物忘れや、
と思い込んでいたがらやんは、
退院後しばらくして、約束が守られないことに激怒し、
1週間ほど、オカンを放置してしまいました。
一切連絡もしない、オカンの家にもいかない、完全無視。
心の中で、高齢者に激怒してもな・・・とは思いつつ、
ちょっと反省もしてほしい、と思ったりもして。

怒り狂ってオカンの家を出るとき、

そんなこと言わんと、またおいでぇな、というオカン。

その姿を見て、ちょっと心が痛んだがらやん・・・
ひとり暮らしの高齢者に怒鳴り散らして悪かったかも、
と思う気持ちと、
私がめちゃくちゃ心配して、仕事を調整して来ているのに、
なぜ約束を破ってしまうのか、という怒りと。

いまでもそのときのオカンの、
いままでにないしょんぼりした姿は覚えています。

慣れない土地に一人で暮らすオカンの寂しさは、
ものすごくよくわかるし、
本当は何があっても一人ぼっちにはしてはいけないのだろうけれども。

ここは一度反省してもらうほうがいいと、
がらやんは心を鬼にして過ごすことにしました。

すこしお互いに頭を冷やし、
オカンから電話連絡があったりもして、
がらやんはまたオカンの家に様子を見に行くことになるのですが、
大喧嘩を忘れたかのように、
またまた、わがまま全開のオカン。

やっぱりまた、きぃぃ!!!と口喧嘩を繰り広げてしまう日々が、
さらにここからも続きます。

次は、その5、顔をあわせれば親子ゲンカ、です。
お楽しみに!


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