個から全体意識としての自我への変容
卵子にたどり着いたたったひとつの精子は勝利者か?
先日、人とこんな例え話をしました。
何億という数の精子が放出され、卵子を目指して泳いでいく時に、最終的にたった一つの精子が卵子と受精することができます。
今までの時代の解釈であれば、それを競争とみなしました。この厳しい競争に打ち勝って受精した精子は強者であり勝利者であり、その他の精子は負け組なわけです。
しかしそのうちに、
「他の精子は、そのたった一つの精子が卵子に到達するのを一緒に泳いで応援しているんだよ。」
という解釈が生まれました。
追いつき追い越せと他を負かして自分が勝つ競争をしているのではなく、一つの精子を到達させるために、他の精子も一緒に泳ぎながら応援しているというのです。心温まる考えですね。
これらはどちらも、卵子にたどり着ける精子とたどり着けない精子があると考えています。一個の精子を一個体(一自我)と見ていると言っていいでしょう。
これから先の考え方では、何億とある精子は一つ一つが競争して、我先にと卵子に到達しようとしているのではなく、「集合体としての精子」としてトータルな存在としてとらえるようになります。
つまり一つが到達すれば、その時の精子すべてが到達したも同じこと。
そこから細胞が成長し、一人の人間が形成されていくプロセスにおいて、卵子に到達した精子も、到達しなかった精子もすべてその個体の命とともにあります。その個体ともに生きています。
「個」あるいは「自我」が、「個体」ではなく「場」としてとらえられるようになります。
個体としての自我から、集合体としての自我へ
先ほどの例でいうと、今まで私たちが体験してきた「自我」は、精子1個に例えられます。自我は私たち一人一人がもつ個別の意識であり、私たち一人一人は別々の存在だと思われてきました。
何億個の精子のまとまりが「大きな自我」を形成しているとしたら(個々の自我があるとしても)?
個体としての「自我」から、種としての(精子の例で言えば、その時に泳いでいる精子全部)、もっと言えば、種を超えた自我への進化となります。
それを「集合意識」と呼ぶことができますが、多くの人はそれをあまり認識していません。先駆的な人やアート&クリエイティブ系の人、敏感な人たちは早々と察知します。
今はまだ個の自我認識が強いです。集合意識を自分の外にある意識のように感じています。いずれ、集合意識の察知が早くなり、そのバランスを保つために個が動くようになります。そうなってくると個体の死はあまり意味がなくなってきます。
例えば、私たちの身体の細胞はどんどん入れ替わっています。私たちはその細胞一つ一つの死を悲しんだり、嘆いたりはしません。(マンガ/アニメの「はたらく細胞」のレベルになれば、個々の細胞がそれぞれの死を悲しんでいるかもしれませんが)。全体(この場合は肉体、あるいは種)が生きていればOKになります。
また、「集合意識」を人間の集合的な意識とし、自然界や宇宙にある情報も含めたものを「集合無意識」と呼ぶとすれば、そのレベルからいろんなことを感知できる能力を私たちは備えています。個人や人間主体ではなく、地球基準で物事を考え、行動するようになっていくでしょう。
自我の定義が人間一人だったのが人類全体となるのなら、次には惑星全体となり、銀河全体、、、最後には「宇宙自我」と言える宇宙意識に到達します。
私たちは長い間、肉体を境として個人の自我にとらわれてきました。
なので、所有感覚や承認欲求があります。
精子1個でなく、精子全体がひとつの意識体だとすれば、そこに争いはなく、
一つが卵子に到達すれば、ミッションコンプリートとなります。
と思えば、他の精子が応援しているというのもわかります。
最初からどれが到達するかは決まっていないのではないかと思います。泳いでいる間は我先にと競いながら懸命に泳ぐので、結果的には強い精子が到達します。
個体としての自我の終焉と新しい始まり
人間は個の自我(エゴ意識)が強くなりすぎました。
それにより全体の均衡が崩れてしまってます。
その揺り戻しが起きている今、「自我の実験」は新たな段階に移行が始まっています。それはもっと大きな自我への移行。
集合意識、集合知、コミュニティ、情報ネットワーク、無意識、微生物、自然、地球。
ここらあたりがキーワードになります。つながりの方が主体となっていきます。
つながりといっても、「心のつながり」「血縁のつながり」という人と人とのつながりのことではありません。脳のニューロンのネットワークみたいなものです。神経細胞同士がつながって神経回路を形成し、巨大なネットワークが生まれます。
どこで分けるかによって違いますが、「ネットワークでできあがる自我」といっていいでしょう。今までも「一肉体の個人」というくくりで、そのネットワークはありました。それがもっと広がりを持つということです。
脳直結インターフェースにより、人間の脳とコンピューターがつながったら、知的広がりは爆発的に広がります。その可能性もありますが、今言っているのはもっと生物的な意味での意識の進化。
意識が成長して、自我の認識が変わり出しています。
縄文時代や宮沢賢治などはその感覚だったように思います。
宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』に書かれています。
自我の意識は個人から集団社会宇宙へと次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
個体意識が強くなると苦しみが生まれる
個の認識が強かったからこそ、孤独感や苦しみ、嫉妬、愛への欲求、差別感、自己の探求、所有欲、野心、競争などが生まれました。
個体重視になると生存競争や所有欲、承認欲求が現れやすくなります。そしてそれが苦しみを生み出します。それを経験することは意識にとっては必要なことたっだでしょうが、今は行き過ぎてしまった感があります。
自我意識が地球レベル、宇宙レベルへと広がっていけば、個体意識の重要性は薄れていきます。エゴ意識が強いとその認識には至りません。
しかし気をつけるべきは、この考え方は一歩間違うと危険です。
個体としての自我意識や自分としての存在やあり方が、個体意識が薄まることによって全体に淘汰されすぎてはいけません。
例えば、人工的に作り出された全体意識(プロパガンダ)に淘汰され、コントロール下に置かれてしまうこと。自分で思考することをやめて、言われるがままになるケース。これはよくない洗脳です。
そうではなく、自分の役割や存在理由は、全体にコンスタレーション的に配置されているあらゆるものの瞬間瞬間に移り変わる流動的な変化を常に察知し、それに合わせて自分の行動を自発的に変化させていくことです。
全体のバランスありきのなかで、自分のすべきことを調整していく流れです。
そしてその「全体」は国家とか人間というレベルではなく、地球、宇宙、集合意識という大きな枠組みであるべきです。
あなたの中にはすべてが含まれている
一人の個人がそんな大きな関係性を考えて行動できないと思うかもしれませんが、あなたは、地球にも宇宙にも集合意識にも含まれています。
あなたはすべてをあなたの中に持っています。あなたの肉体は地球の物質でできあがっており、この宇宙を作った時空にいて、集合意識とは切ってもきれぬ存在です。
個体レベルの顕在意識としてのエゴ意識は、諸説ありますが、個人の意識全体の3%ぐらいだと言われています。もっと大きな広がりの中で自我を感じる時、あなたは自分の中に宇宙があることを感じ取るでしょう。
もともとあなたはその広大な意識から始まっています。今、個体としての肉体を持つ一人の人物と思っている方が幻想です。
今、あなたは夢を見ている状態です。「あなた」さえも幻想ですから、その幻想が見ている夢に気づけたら、この世界の様相は変化していきます。
どの意識レベルにいるかで、今後、出会う出来事は変わっていきます。
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