あたりまえすぎて
毎朝昇る太陽の輝きは 常に輝ける身にて
自ら輝けること知らず。
川を泳ぐ魚は そこに水があることを知らず。
大地の上に住む人間は
そこに大地あることを意識せず。
あたりまえにあるものやおこなっていることは、
当人にとってはあたりまえすぎて、
それをしていることすら気がつかない。
自分を愛することも元はそう。
あまりにも当たり前すぎて、
愛していることを忘れてしまっている。
本当の自分が自分を愛していなかったことなどないのだ。
宇宙がいつもあなたを愛しているように。
まんべんなくある愛に気づきなさい。
どんなものや事の中にも愛があることに気づけば、
宇宙も自分も、自分を愛さなかったことなどなかったことに気がつくでしょう。
(K.T.さまへのeメッセージ 111223 pmb121128)
太陽光がある。空気がある。
これらがなければ、私たちも生きてはいません。
それらをただの物理現象と思うと味気ないですが、その奥には生命現象をもたらし続けている何かがあります。人はそれを愛と呼んだり、神と呼んだりします。
それを「神が与えたもうた」としてしまうと人為的な愛や神となり、抽象度が下がり、制限を与えてしまいます。
宇宙にしてみれば、石も草木も私たちも同等です。
空気があるのと同じように自分が存在するとしたら?
それはどういうことなのか?
考えてみる価値はありそうです。
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