I am a crying man, and I ask "Why? How?"

『1歳と2歳の2児死亡 母親を逮捕』


こういうニュースは絶えない。

頑張って子供をかわいがろうとしてきたシングルマザーが、ある日、子を死なせてしまう。

ほとんどの場合、
…あるいは弱さに屈してしまったかもしれないが、少なくともある時期は…
子を愛そうとし、おそらく実際に愛した。

でも、こんなことになってしまった。

それは、彼女1人の責任なだろうか?

ワタシは、二つの問いを持たざるをえない。


① では、オトコはどこへ行った?

② もし、このワタシの周りに、そうなりそうなヒトが居るとき、
ワタシはそれを止められるだろうか?
そこまで踏み込むべきだろうか?
いや、
そもそも、気がつくことができるだろうか?


まあ、どちらの問いも、
結局は、孤独・孤立の問題なのだ。

こうした事件が絶えないこと、
それは、
シングルマザーの孤立、という問題があると思う。

その孤立に、ワタシなり、社会なり、
とにかく、誰かが、なんとかできないんだろうか?

孤立してしまう彼女たちを、どうにか生きやすく、
そんな社会をワタシは作れないんだろうか?

「そんなアナタを、ワタシたちは、絶対に孤立させたりしない」
そうでなければ、こうした事件はまた繰り返される。


ただ、勘違いしてはならないのは、
社会なり他者なりが、そのヒトの人生に干渉しろ、という事ではない。
むしろ、干渉はしてはならない。

干渉はしない、
しかし、サポートはするし、孤立はさせない、
そういう関わり方、距離感なのだ、おわかりか!?

甘い?
甘くて悪いか。

誰かが生きづらい社会よりも、
誰だって生きづらい思いをしなくてもすむ社会の方が、
イイ社会に決まってるし、
そういう社会にするのが、
社会に参加している人の責任であり、
それを背負うのが、
オトナ
ってやつじゃあないか。


だから、
ワタシは、泣きながら、どうやって、どうして、を問い続ける。


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