【無関心の集大成】~『あるある6(シックス)』~
この国では、
と認識される風潮が
結構蔓延しているように感じている。
(↑あくまで私個人の感覚)
具体的に言うと
・・・という具合に。
それを承知で
先日、ブログでこの記事を書いたことが
自分の中で「呼び水」になってしまったのだろうか。
心の中で思っていた「あること」を
書かずにはおれない衝動に駆られてしまったので
noteに書くことにした。
歴史・政治に関し、知識も教養も浅い
「ひとりのオバちゃん」の戯言に過ぎないのだけれど、
そして
長くなるのだけれど、
もしお付き合いいただければ幸いである。。。
(►関連記事)
【無関心の集大成】~『あるある6(シックス)』~
↑再度繰り返しになるが、
あくまで私個人の感覚である。。。
古代ギリシャの哲学者、プラトンの言葉
古代ギリシャの哲学者、
プラトン(紀元前427-紀元前347)の格言とされる
こんな言葉がある。
そしてこの格言は、一般的にこのように訳されているようだ。
"inferior"という語の翻訳に
一瞬身震いするほど、
ある種の「差別・蔑視・残酷さ」を覚えたため
言葉の真偽を確認するべく
英英辞典&英和辞典で検索してみることにした。
プラトンの生きた時代は
先にも書いたが紀元前「古代ギリシャ」時代。
「身分」というヒエラルキー構造が
現代の日本に生きる私たちより遥かに
「露骨」で「あからさま」だった時代。
生まれながらに「優」なる者。
生まれながらに「劣る」者。
そんな区別があってはばからない時代。
初めて上記格言と翻訳を見た時
さらっと書かれたこの部分に
2つの思いがよぎった。
ひとつは、
どうかプラトンが、人間の「出自」ではなく
「精神的品格で劣る」という意味で
この言葉を使っていて欲しい・・・という願い。
(多分そうだろう)
もうひとつは
人間、誰もが心の内に持つ、逃れられない危うい本能について。
「自己優位性」という欲求である。。。
地球は、こんな場所だと思う(私感)
かつて世界の様々な地域で
当たり前にまかり通っていた「奴隷制」。
また、つい最近までの
日本の歴史に存在していた
「士農工商」という「身分制度」。
現在、日本では身分制度は存在しておらず
「人はみな平等である」という
尊い精神を享受できる時代である(はずである)。
少なくとも
命に重い、軽いはない(はずである)。
また、たとえどんなに
「心の質」が粗悪で
行いの野蛮な人間であっても
この地球上では究極には
「命をもつ、共に生きる価値ある存在」として
受け入れられる場所でなければならないのだと
私は自分に言い聞かせている。。。
祖父母からの伝言
数日前、写真の整理をしていた時
生前の祖父母の懐かしい写真が出てきた。
眺めながら
子供の頃から
何度も何度も繰り返し聞かされた
言葉を思い出した。
かくしてココロの自動翻訳機は
こんな訳をはじき出す
そんな祖父母の口癖が
ここ最近、頭の中をよく駆け巡る。
そして私の「ココロの自動翻訳機」は
ポンコツながら
かのプラトンの格言を、こう翻訳してきた。
▶関連記事 (2020.5.1のblog記事)
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誰に国の舵取りを許可するのか。
庶民が「無関心」=「非当事者意識」を決め込むなら
民主主義の国においては、その仕組み上
「人の尊厳に無関心」
「人の生死に無関心」
そういう「質(たち)の悪い人間」の統治下に
置かれる危険と常に隣り合わせである。
そういう趣旨の素人翻訳である。
お目汚しになること、平にご容赦を。。。
<(_ _)>
どれほどテクノロジーが発達しても・・・・
話は冒頭に戻る。
どんなにテクノロジーが発達しようが
「人間がやらかすこと」は
人類史上そんなに変わらない。
そのように思える日々である。
そして人は歳を取ると
妙に理屈っぽく
話が長くなるのも
人類史上
今後もそんなに変わらないのであろう。
困った、困った、こまどり姉妹。。。
(>o<)そしてダジャレも...!
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