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【創作大賞2024恋愛小説部門】早春賦 #07「初めての着物」

前回のお話はこちら》


営業再開当日。

若葉はモクさんの指令に従い、十五時にサチエさんの美容室を訪れた。

ママ不在でお店を再開することも、全く馴染みのない着物を着ることも、若葉には憂鬱この上ないが、それでも若葉は、可愛らしい弟が応援してくれているような気がして、とりあえずやってみよう、と自分を奮い立たせた。

サチエさんの美容室は、若葉のお店がある界隈から少し外れた場所にある。ペンシルビルの一階を大手のコーヒーチェーンに貸し出し、二階が美容室、三階と四階が住居、五階以上はテナント貸しの小規模オフィスになっている。
ママはいつも、この美容室で髪をセットしているが、若葉が店内に足を踏み入れるのは初めてだ。

サチエさんは五十歳くらいだが、典型的な大阪のおばちゃんといった風貌をしている。明るく染めたショートヘアにクルクルとパーマをかけ、ヒョウ柄のもこもこTシャツと、濃い紫色のスパッツを身につけている。なかなかの昭和遺産である。

「こりゃまた、えっらいケバいお姉ちゃんやな。こないなボンキューボンな体型して、相当、補正入れたらなあかんわ。」

サチエさんは若葉を見るなり、大きな声でズケズケと言った。そして、若葉を奥の畳敷きに引っ張っていき、衣服を全て脱がせると、胸にさらしを巻いたり、ウエストにタオルを巻き付けたりして、躰の凹凸をなくしていった。

「補正を入れると普通は太って見えるけどな、大丈夫や、おばちゃんが綺麗に着付けたる。」

次に、若葉を鏡台の前に座らせ、顔にコールドクリームを塗りたくって厚化粧を落とした。ヘーゼルナッツ色のカラコンも外させた。
その後も、若葉を小突き回し、連れ回し、グルグル回し、忙しく立ち働いて約二時間後。

「よっしゃ、できた。可愛らしいお人形さんの完成や。」

そう言うとサチエさんは、若葉を残して三階に上がっていった。そして、髪が薄めのおっちゃんと、二十前後のかわいい女の子を連れて降りてきた。
先刻、若葉が入室した際に応対してくれたおっちゃんが、若葉の着物姿を見て大袈裟に驚いてみせる。

「これはこれは。ものすごい変身ぶりやな。」
「そやろ。さっきのケバいお姉ちゃんと同一人物とは思われへんやろ。」

サチエさんに手を引かれ、若葉は足をもつれさせながら、姿見の前に立った。

「………。」

姿見の向こうには、薄紅色の縮緬に色とりどりの花を咲かせた着物姿の、清楚で上品な女が立っている。それが自分自身だと俄かには信じられず、若葉は呆然とする。

「しっかし見事な加賀友禅やな。作家もんの特注品か。確かにこのお姉ちゃんには、京友禅より加賀友禅の方が、しっとりと優し気で、よう似合う。またこの色味がええ。色白の肌がきれいに見えるわ。帯の七宝華文も、ふっくらと落ち着いててバランスがええ。」

おっちゃんが姿見を覗き込んで、一つ一つうなずきながら唸っている。
若葉は、食い入るように姿見を見つめた。

大嫌いな自分の躰が、美しい絹にすっぽりと覆われて、優しい曲線を描いている。
薄付きの化粧が、形の良い眉と長いまつ毛を際立たせ、アイメイクの絶妙なグラデーションが功を奏して、瞳は黒々と潤んでいる。
ふんわりと編んだ髪に差し込まれた生花と、着物に描かれた写実的な花々が、若葉の全身を優しく包み込み、若葉特有のたおやかさを引き立てる。

若葉は左手を口元に当てる。ネイルアートが、不自然なほど派手に見える。

突然、若葉の大きな目から涙が溢れ、ポロポロと頬を転がり落ちた。それを見たサチエさんが驚いて大きな声を出した。

「えっ、なんで泣いてんの?どっか痛いの?」

若葉は、おっちゃんから差し出されたティッシュを目元に押し当てながら言う。

「なんや感動してもうた。生まれて初めて、自分のことを綺麗やと思えて。」
「あははは、そんなことかいな。それやったら、これから毎日思えばええわ。」

おっちゃんが明るい笑い声をあげて、若葉の背中をぽんぽんと軽く叩いた。


サチエさんの美容室から若葉のバーまで、若葉は一人で歩けそうにない。足がもつれるし、草履がすぐに脱げてしまう。

「ユキエを一緒に行かせたるわ。」

サチエさんの娘のユキエちゃんが、若葉と腕を組んで歩いてくれる。コテコテのサチエさんと違って、ユキエちゃんはごく普通の女子大生らしいワンピースを身につけている。

「モクさんて、あの無駄に図体のでかい、顔に物騒な傷がある、目つきの悪いヤクザみたいなおっさんやろ?」

髪をかわいらしく内巻きにしたユキエちゃんもまた、容赦なくズケズケとものを言う。

「あのおっさん、この前うちに、着物と帯をようけ送ってきてな、『ママが預けてる着物も併せて、好きなようにレンタルに使うて貰うてええから、若葉のことをよろしくお願いします』って言うてきてん。うちのお父さんに、ラインで。」

「あのモクさんが、ラインで…?」

大きな躰をすぼめながらスマホにちまちまと文字を打ち込むモクさんの姿を、若葉はちょっと想像できない。

「それがめっちゃええ着物ばっかしで、お父さんもお母さんも大喜びやってん。あのおっさん、なんでそないな女物をようけ持ってんのやろな。
それでな、あのおっさん、若葉ちゃんにはこの着物を着せて、帯と小物はこれで、髪と化粧はこんな雰囲気にしたってくれって、めっちゃ細かく言うてきたんやって。それでうちのお母さん、『モクさんの期待の更に上をいったる』ってめっちゃ張り切ってたわ。
若葉ちゃんがこないに綺麗になって、あのおっさんも喜ぶんちゃうか。」

ユキエちゃんに手を取られ、よろめきながら店内に入ると、すでにモクさんはカウンターの中にいて、グラスを磨いていた。
カウンターの隅の花瓶には、ママがいた時と同じように大ぶりの花々が生けられている。

モクさんは若葉にちらりと目をやり、軽く頷くと、いつもの無関心な表情で、手元の作業に戻った。


続く

前回のお話はこちら》


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