「命の期限」♥他者へは「悲観的」だが自身へは「楽観的」になれた。

❶32年前の夏、祖父が肺癌で消え逝く命を目前に、最後の我が儘を言ってくれた。「アイスクリーム」が食べたい。近くのパン屋さんで「かき氷系」「バニラ系」「プリン」「ゼリー」を買い漁った。病室に戻り、ほんの一口ずつだけだが「あ~ん」と言って食べさせてあげた。「おいしい」「あ り が と う」の言葉の後に、既に輝きを失って澱んだ瞳を凝らして「煙草は吸ったらあかん」と警告してくれた。3日後に旅立った。73歳だった。

❷「行路病者」(こうろびょうしゃ)と云う言葉を始めて知った。他の手立てはなく、どうしようもなく、只ただ「生きたい」切望を叶える唯一の社会的制度。道(路)で行き倒れて救急搬送されれば「生活保護」が適用されて命が繋がれる。既に命が期限切れ状態での究極の「希望の光」。

❸小学5年生のバレンタインデーの夜22:30。庭先の「門」が「キィ~ッ」と軋んで開く音が聞こえた。一緒に炬燵で蜜柑を食べていた母に伝えた。母からは「こんな時間に誰も来ないよ。」合点納得してその夜は眠った。翌朝、祖父、父、母の大泣きの声が玄関口の方から聞こえて、慌てて妹と一緒に駆け付けた。8年間、喜怒哀楽を分かち合った「超大型の秋田犬」が冷たくなって横絶えていた。昨夜の「音」は、私のことが好きだった愛犬からの「最後の挨拶」だったのね。と母から告げられて、冷たい毛並みを撫でながら大泣きした。
お坊さんを呼んで庭先に土葬した。その年の秋から、お墓の上に「秋桜」が咲き誇るようになった。社会人になって家を出るまでの10年間はずっと(その後の経過は分からない)。


自身の「命の期限」は73歳だと自然に受け入れることができた。
抗なう術もなく抗なわない。「残り16年」。こう覚悟すると途端に「今が恋しく」「大切に」思えるようになった。だから「諦め切れないものがあるなら」「悔いが残らないように」「目指し続ける他にない」。「命尽きるその日まで」。

「楽観の部屋」は、まずます爽やかな「快晴」となった。

※静かに素敵な動画との出会いに、心から感謝の意を表します。

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