嫉妬という人類最大の課題

相手に本気で向き合うこと

相手を誰よりも知ること

相手を好きになること

相手を尊敬すること

性欲が相手との関係性で高まること

複数の様々な役割を持ったパートナーが両立しうること

嫉妬心が暴走しないこと


これ全部一緒に満たすこと可能だって骨の髄から分かってる奴、今の世界にどれだけいる?

この中でとりわけ重要かつ、ここがダメだとすべてをぶち壊す要素が「嫉妬」な。

嫉妬がこれらすべての可能性を破壊している。

嫉妬ってのは、「人間ならだれもが持つ~♪自然な感情なの~♪」じゃねえからな。

嫉妬は喜怒哀楽その他の全ての感情と、根本的に性質を異にする。

断じてなにかの「類型」でもなければ「親戚」でもないし、「一要素」でもないし、「数ある感情のうちの一つ」で片づけていいものでもない。

諸悪の根源という表現に近い要素だから。 キリスト教的な愛の概念で説明するならば、そのほぼ反対側にあるのが嫉妬だ。


嫉妬というのはそもそも、感情というより、罠にも似た一種の方向性を持った単なる構造でしかなく、数少ない正常な人間からすると「虚構」である。

次の要素が絡まると、嫉妬を構成することがある。

1.愛・世界・全体 的なものから切り離された感覚

2.愛に似せた何かをまだ感情の解像度が荒い幼少期に刷り込まれる。

3.何かとは(特別扱い、条件付きの報酬)である。

4.上の2つの成立には原理的にそれを「与える者」の存在がセットで必要

5.多くの場合、初期のそれは親であり、その後は上司となり先輩となり、形を変えて似たような流れが続く。

6.「与える者」⇒「与えたように見せかける者」は、対象の弱さに付け込んで、(比較・競争・評価)の枠組みを有形無形、意識無意識に展開する。

7.枠組みにはまらぬ者や、枠組みを重視しない者に対し、有形無形、意識無意識に罰を与える。 筆頭は「恥」と「暴力」と「無関心」と「経済的追い込み」である。

8.「与えたように見せかける者」はいつでも、好きなタイミングで、(比較・競争・評価)で揺さぶりをかけることによって、被支配者の意識に不安を呼び起こし、それを容易に導くことができる。

9.その際呼び起こされた一連の心理と、それによって巻き起こる争いを、今の社会は「嫉妬」と呼び一種の正当化をしている。

10.枠組みが回り出すと、「与えたように見せかける者」は、人知れず精神的・物質的・社会的な様々な利益を得続けることができる。


どうだい? この世界 ってか 君たちの生活のほぼすべて、社会のほぼすべてが、恐ろしいほどこの流れのとおりだろ?

仕事も家族も恋愛も なにもかも

何もかも過ぎて、ずっと当然だって思って気づかなかったろ?

似たようなことは、昔のすごいひととか聖者とかが言ってたかもしれんが、ここまではっきりこれが問題だって書いた奴、おらんやろ?

嫉妬に関してはみんなもやもやしたまんまでさ。

愛と嫉妬がどう関係するかはキリストでさえ言及しとらんから、いつの間にか人々が自分勝手に勘違いして 嫉妬は愛の証明みたいにまでなってしまった。

でも改めて書けば明快明瞭でしょ?

哲学書も聖典もいらんよな? たった10行でいいんだからさw

後はそれを己の生活に当てはめれば、答えは明らかなんだから潔く認めればいいだけ。


ここまで断言できたやつがなんでおらんと思う? 

彼らもだーれも嫉妬の芯を見抜けてなかったからだよ。

問題は「悪」でさえなかった。善と悪?w その前に嫉妬だよ。


そして、突き詰めていくとな?

すべては自分の惨めさと醜さに行きつくんだよ。

問題の核心は他人との関係性でさえない。

あなたがたが嫉妬する相手さえ、偽の評価者はそれ以上に、程度の差はあれ、惨めさと醜さにに溢れた存在である。

元から、うらやむ対象でさえ、本来はないのだよ。

自分の惨めさと醜さに向き合わないから、向き合えないから、

評価によって、現実を覆い隠す方向に行くしかなくなる。

評価とは相対的であるから、いくらでも下を見ることも上を見ることもでき、都合よく視点を変えることも、私は普通だと思うことも、平均だと思うこともできる。要は、好き勝手に妄想の大海に逃げられるわけだ。

他人評価、とりわけ社会評価とは、ふわふわした妄想陣取り合戦である。

このような原理によって、他人で埋め合わせようとした者は利用され、愛の偽物を埋め込まれ、生涯多くの時を翻弄されることになる。


妄想陣取り合戦の結果がどうなろうが、そんなことは本質的な自分の惨めさと醜さにはほとんど関係しない。

何歳になろうが、どんな評価を受けようが、だ。


本質的な自分の惨めさと醜さを解消する手段は、

形そのものの変化、イメージそのものの変化、音そのものの変化、流れそのものの変化 感覚そのものの変化 などだ。

それらの総体を以て世界と調和する感覚=確信を体感する以外にないだろう。

このうち、ようやく、形については美容整形がなんとかその可能性くらいにはなるかな?という程度まで進んだものの、

イメージ 音、流れ、感覚 などの改善はほとんど手付かずのままである。

それらの改善というのは、結局のところ、病や老化や生きることすべての根本であって、すべてに通じるものであるから、

そこから逃げたものが話にならない、ロクなものにならないのは言うまでもないことだ。


さて、嫉妬については説明したから、最後に話を戻すか。

テーマは「全てが逆になる恋愛と結婚」だっけ。

そうそう。あ、いや、やっぱなげえからタイトルを変えてそれは次の記事にしよw

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