ゲームに夢を見た時代 金と虚栄と欲望 興隆と終焉
数々の名作ゲームは夢を見させてくれた。
古くはポケットモンスター 2000年頃からのMMORPG
今回は2000年代に一世を風靡した、MMORPGについて話そう
2000年代の初期MMORPGは、まさに世界ができていく過程だった。
プレイヤーは、世界に人が投げ込まれて人の生態系が出来ていく様をリアルタイムで見ることが出来た。
MMOをやったことが無い人は、新規のお店の開店とかベンチャーとかクラス替えのような空気感・イメージに近い。
それらをもっと大規模に、同時接続数千人~数万人の規模で行う感じ
ゲームといえば、プログラマやゲーム会社が作った枠の中で、彼らの想定通りに遊ばせてもらうもの、いわば手のひらの上で転がされる、という、
人の作ったゲームの限界というか制限みたいな感覚が少ないのが、名作の特徴である。
ポケモンもそうだったが、MMOはそれ以上だった。
MMOに初めて触れたとき、そのあまりの自由さと自然さに感動した。
人が作ったとは思えないほどの自由さと広がり、わざとらしい箇所のなさが、そこにあった。
それはまるで第二の世界のようだった。
そこらじゅうにプレイヤーがうごめき、プログラムで動いてはいるのだが、その動きの一つ一つに、「リアルな人」を感じることができた。
ぎこちない「チャット」にもそのメッセージを打つスピードやタイミング等から、ビシビシと「人」を感じた。
これほどの広がりのある「世界」を人工で作り、そこで毎日何千人が動いていれば、運営の想定を超える事態が日々発生する。
今思うと、というか色々なインタビューなどを見ると、当時運営もほとんど手探りでやっていたことが分かる。
運営もまた、最低限のプラットフォームを作り管理運営はするが、
それをなん千何万のおびただしい人がどう遊ぶのかをみつつ、日々プレイヤーと一緒になって、共に世界を作り上げていたのであった。
運営でさえ、どう世界が動くか予測できない、 そこにリアルな世界のキーがあった。
自然と市場ができ、コミュニティーができ、マナーができ、政治ができた。
井戸端会議があり、恋愛があり、友情が生まれた。
今振り返ると、本当に当時の運営はすごいことをやっていたのだな、と思える。
信じられない数の人からの、要望や苦情や対応をリアルタイムで行い、改善し、通知し、運営し、しかも前例もなく、手探りで、儲けも少なく、先の保証もない。
当時は大したキャッシュポイントもなく、今とは比べ物にならないほど、運営会社も小さくて、スタッフも少ない中で、すごい世界をみたい一心で一生懸命それを行っていた。
本当に見事だなと今は思う。
その熱がプレイヤーにも伝わり、リアルで温かい空間ができ、盛り上がっていた。
転機は2005年頃である。
「とある」ゲームが、禁断の果実に手を出した。
俺がやっていたゲームが、最初にそれに手を出した。
当時は、プレイヤーにも運営にも「絶対にそれをやってはいけない」空気感が共有されていた。
数々のゲームはあったが、どのゲームでれ、それをやろうものなら袋叩きになりそうな感覚を皆が持っていた。
それは「ガチャ」や「有料の装備の販売」である。
今の人なら「普通じゃん?」と感じることだろう。
2000年代初期は、それは「超えてはならない一線」として認識されていた。
今思うと、当時の人はみな、それをやると大事な何かが崩壊することを感覚的に分かっていたのだ。そしてその感覚は恐ろしいくらいに当たった。
何が起こったのか?というと、運営会社におびただしい売上をもたらしたと同時に、ゲームの中の素晴らしい世界が崩壊した。
どれくらいの売上をたたき出したか?というと、それはもう当時の全員の想定を超えるくらいの金額だ。
あっという間に上場して、当時の運営スタッフが皆、ストックオプションで数億~10億を稼ぐほどである。
つまり、皆が危惧していて、結局明らかになったのは、次の4つのことだ。
「ゲームの中のデータを売るだけで、仕入れも何もなく、何百億も稼げる」
「特定の人間は、金でいくらでも虚栄心を買う」
「ゲームの中の温かい世界はぶっ壊れる」
「常識が変われば人は流され、結局なんでも通用する」
ガンホーという企業が、パズドラであっという間に上場して何百億を儲けたのは記憶に新しい。
そこから、2010年代には、ネットゲーム系企業が爆儲けして、次々に上場し、株式市場をにぎわせた。
その源流が、2005年に禁忌を破った某ゲームである。
某ゲームの「儲け情報」は瞬く間に業界に伝わり、他のゲームも次々に「課金」に手を染め、うん十億単位の売上を手にした。
そんなに簡単に儲けの味を知ってしまうと、運営会社は、お金に繋がらないことが「バカらしく」なり、次々と「効率化」していった。
昔から今も変わらず、意地でも課金せず遊ぼうとするユーザーは多い。
今では信じられないことだが、昔の運営会社はそれを「普通のこと」だと感じていた。そして大事ななお客として扱った。
それでもゲームを楽しんでもらって、上手に遊べば無料でも遊べるようにしてあり、良かったら少しだけ課金してね?
という、信じられないくらいの包容力があった。
今の運営は皆こうである。↓
1顧客あたり、時間あたり、サーバー負荷あたりの単価を上げないと
「課金逃れ」をするユーザーは、サーバーに負荷をかけるだけの営業妨害だ
さっさと課金しないのなら早めに去ってくれ
それが、結局、企業価値やなんやらをうんぬんでえ~~~
なんと「厚かましい」態度であろうか?
法律上も、経営上も、確かに上記の言い分は否定できないかもしれない。
そしてマーケット的にも、市場的にも、それがベストかもしれない。
だが、その考え方で、かつて存在した「場」を作れるとは100%思えない。
そして、ゲームの構造や、世界感はどんどん、「浅はか」にはり、
浅い底が透けて見え、手っ取り早く課金させるためのプロセスがバレバレになり、
運営会社の「金を払え」という欲望が透けて見えるようになった。
そして、そういったゲームに相変わらず群がっているのは、金はあるが心と感性の貧しい、虚栄心を金で買うことに何の抵抗もない人間ばかりとなり、
運営会社もまた、そういった人種から金を巻き上げるのが「最も効率的」であるという結論に達し、そのための設計に舵を切った。
運営会社も金づるの客も、互いにやめどきが分からなく引き返せなくなり、それらの人の金が尽きるまで、集金装置として残存している。
その他の人からみて、その有様はまさに「廃墟」である。
こうして、かつて数年存在した「すばらしい世界」が廃墟となっていった。
俺はといえば、有料ガチャが始まる直前までに、その温かい世界で世界TOPのプレイヤーだった。
先行配信国に1年以上遅れていた日本で、先行配信国を超すほどの、ゲーム内アイテムの価値でいうと、数百万、おそらく世界中の運営の想定を超えたTOPプレイヤーだった。
自分でいうのもアレだが、そこには正当な評価、正当なモチベーション、正当な尊敬などが存在した。
仲間とゲームを正しく楽しみながら、みんなで強くなり、仲良く楽しみ、みんなで攻略し、いつの間にかそうなっていたのだ。
中にはRMTに手を出して装備を集める者もいたが、彼らでさえ、俺のような「まともにつよい」何人かのプレイヤーには手も足も出なかった。
皆がそれを嫌悪する正常な世界では、RMTにあからさまには手を出せないし、出したとしても何百万をつぎこんでも俺のようなプレイヤーに勝てる保証もない。
虚栄心を満たすのに、金でも立場でもどうにもできないものがある。
そこには、将棋やスポーツにも似た「まともな世界」があった。
ガチャが始まり、空気感が変わるのを感じた俺はさっぱりと引退した。
フィジークなどのドーピングと同じで、あからさまに、短期間でぎらついた装備を付け出す、どこの馬の骨か分からない者が増えた。
俺は、温かみのある世界が壊れていく感触と、 虚栄心にまみれた連中が狂っていく様や、運営が開き直るところをみて、本当に気持ち悪かった。
このような狂っていく世界で、彼らと混ざって何かをしても、何の証明にもならない。
俺はそれで3年やったMMOをスパッとやめた。
その後の推移はゲームを長くやった人ならご存知のとおりである。
プレイヤーは十分の一以下に減り、
金さえ何十万積めば、あっというまに金ぴか装備とレベルが手に入り、
心の貧しい金だけもった「大人」連中の巣窟となった。
こうして、かつて繁栄した世界とその試みは、
虚栄心と金儲けのスパイラルによってあっという間に崩壊していった。
なんだか、現実の世界にも似ているね。かつての古代文明の崩壊もそんな感じだったのかな?
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