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無能な「感情的評価者」が場を停滞させる

人間のコミュニティーを観察すると、場には

論理的な評価者とは別に「感情的な評価者」がいることがわかる。

言い換えると、論理的な評価軸と感情的な評価軸だ。

話としては人数が少数のほうが分かりやすいだろう。

論理的な評価軸・評価者とは、

分かりやすく言えば職場での役職に応じた序列だったり、目に見える能力に応じた序列として現れる。

感情的な評価軸とは、それよりも分かりにくく存在している。

例えば、「ノリ」のコントロール力だとか「ふるまい」の自由度だったり、影響力だったり、

より受け身的な意味で「態度の変えなさ」「響かなさ」だったりする。

そして2つの軸それぞれに、さらに「生み出す力」「調整する力」「評価する力」等があり、

「生み出す力」「調整する力」などは人間関係や場を円滑にするのだが、

「評価する力」については別だ。

それが上2つの力に応じて備わっていれば、場が適切に維持されることに訳だったりするのだが、


「生み出す力」「調整する力」が欠けているのにも関わらず「評価する力」だけが大きい人間というのがいて、

そういった人間は、不機嫌な顔だとか、不服そうな顔だとか、テンションだとか、ノリだとか、そういったノンバーバルで、

分かりずらい形でネガティブな影響を場に与えてくる。

特に論理的な軸においては、目に見える形で証拠が残るので、誤りが修正されやすいのだが、感情的な軸においては巧妙に修正されないまま、不適切な評価者が残り続ける傾向にある

これは非常にタチの悪い、場への損失であり、

そういったことに明るい、直観の優れた経営者、コミュニティーのリーダーはこのことが引き起こす重大さに気づき始めている。


本来、そういった人間は社会からはじかれて、より低質・低湿なコミュニティーに落ちていく傾向にあるのだが、

感情的なGiver HSP エンパス INFP型 レムリア型 のように、

能力値が高いのに感情的な主導権を取ろうとせず、

お互いの魂や体、感情のレベルの自発性を信じてコミュニケーションをとるタイプの人間の元に残り、彼らを搾取しているパターンがいまだよくある。

彼ら・彼女らは、それでも振り回す自分のほうが強くて価値があると、愚かにも感じてしまうのだ。

彼ら、彼女らにこびりついているのは、社会的にいかに自分が低い立場になろうとも、自分の「感覚・運・感情・心・直感・目に見えない部分は、何があろうと関係なく、人より優れているという盲目的断定

まったく根拠のない、思い上がりであることが多く、

いつかの時点で自分を守るために形成されたことが多い。

そういった人間の多くは、多くの場合、社会性・客観性・経験・知識・論理性・相対評価という、人間に課せられたある種の苦しみから目を反らし、自分と切り離して考える癖がある。

確かに、多くの場合、社会性・客観性・経験・知識・論理性・相対評価というのは自分の存在が根底から脅かされるほどに影響を受けることが望ましくはなく、そればかりで人を測ったり、人生の方向性を定めるのも愚かであることは多くの人が感じていることだ。

だが、それらすべてを都合よく無効化し、それらと一切関係なく自分の感覚・運・感情・心・直感・目に見えない部分 他人より価値があると当たり前のように振る舞うこととは全く別の話だ。

そして、このパターンに陥ることが多いのは女性である。

そういった人間は、自分に修正を迫る社会性・客観性・経験・知識・論理性・相対評価的な事象に出くわすと、それを過小評価して改めることをせず、

逆に、いくらでも都合よく解釈できる感覚・運・感情・心・直感・目に見えない部分で、自分に都合のよいことについて、針小棒大に捉え自己評価を上げることを日々行っている。

いくら社会的に無能・無価値を突きつけられても・・

いくら嫌われても・・ 色々な場を追われても・・

いくら自分の直観が間違っている根拠があっても・・

いくら同じ間違いを繰り返しても・・

でも私のほうが感覚鋭いし!

でも私のほうが感情豊かだし!

でも私のほうが心があるし!

でも私のほうが直感優れてるし! 

などと、どこかで信じて疑わない。それすら劣っていても、だ。

普段は謙虚にしていても、自分が評価してもいいと思えるチャンスが訪れると、誰かに対し、

「歪んでるね」「かわいそうだね」「〇〇は面白いね」

等と、その発言に、どこまでもずぶとくてふてぶてしい態度がつい、顔をだす。

その際の共通点として、

根拠を伴わず、自分の相対的な位置を示すこともすっとばし、

絶対的な評価者であるかのように、あいまいで感情的、

かつ、人としておいしいところは自分のほうに利があるような評価を下す


そして、そのことがいかに傲慢で愚かなことか、それを見抜かれていることにさえ気づいていないのだ。

逆に普段はなかなか指摘しない自分が謙虚であるとさえ思っている。

その態度・様子・生きざま、他人への影響は、 

子泣きじじい に似ている。



久々にひどい殴り書きだな。後でだいぶ推敲しないと

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