千里の道は一歩から、「一歩から」は正しいけど、「ゴールは歩いた先にある」は罠。

「千里の道は一歩から」 努力教(狂)の人が大好きな言葉の一つだね

確かに最初小さく踏み出すのは大事

どんな小さな一歩でもいい、これもそのとおり

だけど 2歩3歩とあるいたら、まわりから、特に常識の皮をあつーく被った者たちから変な空気感を感じる。

「よーしその調子で歩こう、みんなそうやって努力してるんだ。いつの間にか(千歩歩いて)ゴールは近づいてる」((はず、、うんはず。多分な・・・そういや自分はそれで成功したっけ?あれないかも??一杯言われてきてたけど。まあいいや、知らん、こいつにもそう言っとけ。。))


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ほら、一歩一歩だよ一歩一歩

次々と脱落していく他人を、見て見ぬふりしたり、情けない奴だと見下してみたり、反面教師にしたりしながら「その道」を進み・・

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俺は、、この長い道のりを超えて、、成功をつかんだんだ!! 後はここを開ければ・・祝福!!歓喜!!栄光!!自由!! 待っているんだ・・


あと一歩でたどりつきそうなゴールに漂っていた空気は

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はっきりはしないけど、何かおかしいものを感じる

目の前はもうゴールなはずなのに そう思って進んできたのに

信じて一歩一歩 脱落者を尻目に 努力してきたんだ!そう言われて!

こうしてゴールまできて。もうそれしかないだろ!

だけど・・何かすっきりしない

ここまできたのに思ったよりなんだか空気がパッとしていないというか

自分の中も、周りから感じるものも。変だ。これだけのことをしたならもっと手ごたえがあってもいいはず。なぜだ?

なんか煙に巻かれている感じがする。。誰も本当のゴールに自分がいくことなんてはなから望んでいないような。。なんだか本当のゴールから逸らされたような? 

それどころか感じるのは別の何か、、絶望 破滅 腐敗 の期待?

まさか・・そんなはずは

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この人たちもきっと、、自分のことを称えてくれていて・・

ここを開ければゴーーr・・?

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用意されていたのは偽のゴール

「ゴール」に辿り着いたが地位と名誉と引き換えに腐り果てた人間、それも己の人生は賭けられない臆病な者たちが、他人の命をもてあそぶことで鬱屈を晴らすための愉悦の装置!

努力、情熱、期待、人生をかけた熱量を、いとも簡単にぶち壊すことで、絶望に転換し、あざわらうための装置!

かつて成した虚ろな「勝利」を、間違っていなかった!と思うための感情転換装置!

自分と同じように、それと知らずまぬけと努力し続けいつか尽き果てる予感と徒労を味わっている者への邪悪な共感装置!

既に脱落した者が、同じように落ちてることを望む怨嗟の装置!


正規のゴールも一応用意してあった。それは彼らの「言い訳」のためだ。

ゴールに気づかないほうが間抜けだ。というための。

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正規のゴールにたどり着けたとしても幸せにはなれない。

そもそも人を落とすために作られたレールで成功することを望んでいる人などいないからだ。

こんな勝負、勝っても負けても後味が悪い。

「正規のゴール」でさえ、腐り果てた悪趣味な人間の産物だからだ。


真のゴールは一歩一歩の先、歩いた先に確実にあるのではない。

千歩先を案内する者は、レールを作り歩かせたい者、同じく人生に迷いゴールを知らぬままレールを歩く者。既に自分も落ちて他人を道連れにしたい者。

そもそもゴールは誰かの設定した人工物や概念にはない。よって、確実ではありえないし、歩いていけるとも限らない。ゴールは自分の中に見えてくるものだ。一歩一歩、一日一日を大事にすることで、ゴールは思いもよらぬ方法で、思わぬ角度から、思わぬタイミングから、思わぬ体験から、思わぬ能力から、近づいて来ると覚えておくことだ。

繰り返すが一歩一歩とは、毎日決まった何かをすることでもなく、通うことでもなく、続けることでもなく、ルールを守ることでもない。

自分の中にゴール(イメージ)が光のように見える。それに掛ける気になるまで十分に光に確信が持てるまでタイミングを待つ。自分の一瞬一瞬の生き方がゴールにとって正しければ光は強くなり、間違っていれば消えていく。その光の変化を道しるべに、ただひたすらにできる限り嘘をつかずに一瞬一瞬を生きる。光が道しるべになれば、歩幅や歩数は無意味なものになる。理想までの間に中間ゴールのようなものは一つも存在しない。妥協という概念もない。とりあえずこれを目指すというものが強い動機になってしまったときには光は消える。

それだけのこと。迷うなよ



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