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空飛べスケッチ

こんばんは。

私が幼少の頃から、春夏冬と長期のお休みは全て預けられていた父の実家が、住む人がいなったため近々解体される、と聞きました。


ーーとうとうきたか。


父の実家は広島県芦品郡(今は福山市)の山奥。1970年代に新幹線が岡山から先に延長したばかりでした。新大阪から「ひかり」で岡山駅。そこから各停「こだま」に乗り換えて福山駅へ。その先は、手でドアを開けるタイプの在来線でさらに1時間。目的の無人駅を降りたら、目の前に小さなタクシー会社があり、乗って30分。バスはありませんでした。ごみ収集車など来ないのでゴミは畠で焼き、またトイレは汲み出して畠へ撒く。お風呂は五ェ門風呂、煮炊きもお竈さん(おくどさん)で薪でした。


その家には、昔4人の大人が住んでいました。

祖母も叔父も、従妹(叔父叔母の娘)も亡くなり、最後に残った90歳の叔母が昨年他界して、無人の家屋になったのです。


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私は4人姉弟(私と弟1号、2号、3号)で、そのうち預けられていたのは、いつも上の2人(私と1号)。

休みの終わりに、私たちを迎えにくるのは、祖母に会いがてら、いつも父。その時に父は2号か3号を連れてきて、一泊してから子供たちを引き連れて帰りました。

大阪へ帰る朝はおばあちゃんが泣きます。私は『 帰らへん!』と山へ逃げ込み猿となり。父の実家が大好きでした。

猿は高い木に登る、または木葉隠れなどで、抵抗はしましたが、新幹線でアイスクリーム食べよう、と父に言われたらすぐついて歩きました。

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一つ、やり残したことがあります。姉弟全員で、その田舎の家で過ごした経験がないのです。

あれだけ毎年何回も行き来していたのに。


預けられるのは、いつも私と1号。そして2号と3号は大阪に残っていたからです。

さらにお迎えの時に父と一緒に来るのは、ほとんど末弟の3号だけ。

2号がいつもいなかったのです。

2号は、小学生になると同時に地域の少年野球チームに入り、6年生の時にはリトルリーグ全国優勝のピッチャーでした。休日なんてなかったはずです。4人が揃って田舎に行ったのは、祖母のお葬式だけでした(祖母のお引き寄せで、確かに一瞬4人揃ったけれど、トンボ帰りなどの慌ただしさの中、懐かしむ時間はとれませんでした)。

成長し、それぞれが結婚してからも、2号は実家の近所に家をかまえ、商売も引き継いだため、帰省のたびに必ず私と2号は合流。二人で深夜まで飲みました。

そこへ、うまいこと1号、3号が都合をつけて合流したら、朝までコース。

4人で濁流……へろへろ。この世で一番楽しい飲み会です。

そんなとき『ほんとは俺も行きたかってんでぇーー!』と2号。『野球ばっかり。姉ちゃんらだけ楽しそうでえぇなぁて思ってたわ』

ーーそうだったん……かーい。


『よっしゃ、じゃ今度みんなで行こ!あの縁側で昼間っからビール飲もう!』

でも現実は、ちがう。

ある年は誰かに子供が生まれて嫁さん置いてはいけん、別の年は誰かの仕事が大詰めで難しい、誰か(私ね)が足を骨折、転職したてで(私ね)休めない、子供が交通事故(また私ね)、子供が、親が、だんなが、妻が、部活が、出張が、etc.。

30代、40代。当たり前に生活の上での優勢順位があって、全員一致で『今でしょ!』が発動できないまま年月は過ぎました。


いろんな組み合わせで、都合の合う2人または3人で、数年おきには盆正月に、祖母や叔父・叔母に会いに行きましたが、一度に4人は実現しないまま。


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独り暮らしになった90歳の叔母とは、昨年亡くなるまでお手紙をやり取りしていました(よく落書きも添えました)。


今年、イラストをちょこちょこ描き始めて、ふと思いつきました。4人で父の実家にいる風景、書けばいいんじゃないか。


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錦鯉が水泉で泳いでいますが、これはこの家の副業です。コンクリの養殖池が裏庭にズラリあり、錦鯉の養殖をしていました。錦鯉の良し悪し見分けと、寄生虫イカリ虫をピンセットで取る作業は自信あります。なぁんの役にも立ちませんが。ド田舎なので広い家で、祖母が根気よく庭の世話をしていたため、整っていましたが、生活はとてもつつましやかでした。


絵を1号にラインでポチッ。すぐに電話があり、開口一番に言われました。

『4人やん!ほいで、庭に叔母ちゃんがおらんのがリアルやなぁ』


いつも働き詰めなのに、なぜかゆったりとした雰囲気で優しい優しい優しい叔母(絵にはいないけど)。


早朝に家事をして、NHK連ドラ見て豊かな心で笑ったり泣いたりしてから、8時過ぎには田畑へいき、日没頃になると美味しい匂いがしてきて、私たちが台所にいくと、いつのまにか竈で煮炊きをしていました。私が今でもNHK朝の連ドラを見ているのは叔母の影響(真似?)です。


日中、家の中や庭先で、その姿を見かけることはほとんどなかったので、無意識に書いてなかったのですが、

なるほど、1号にそう言われてみると、絵にいないからこそ、すぐ裏の畑で仕事をしている気がします。

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やりたいことをやっておかないと後悔するという言葉にふれると、いつも浮かぶのが『4人で田舎の縁側でのんびりと過ごすこと』でした。

ーーイラストって望みかなえるのね。ちょっと遅くなったけど、よしとしよう!まる。





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