本日の仕事を早く終わらせるとなったら生産性が上がるのではないか?


パーキンソンの法則で仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する。

ある作業に対して、2時間が与えられたらならば、その2時間をフルに使ってしまい、どんな仕事も締切間近に完成するという内容です。

我々は時間いっぱいまで働くということを強制されています。結果、効率が上がらないのではないでしょうか?

仮に、管理職がこの売上を達成するまでに必要な仕事は今日はこれまでと設定します。

部下はそれに対して業務を遂行させ完了します。その条件に、早く終われば帰っても良い。という条件を付けたらどうでしょうか?

個人的にはプライベートを充実させ、余暇を謳歌したいので頑張る気がします。

効率化の成果が見えないのは効率化しても、個人に直接的なメリットが働かないからです。従業員全員が効率良く働ける仕組みやボトルネックを解消しても、その提案者の給料が上がりません。

会社の売上がそれで上がれば、社長は喜びますが、提案者に還元されないのであれば意欲にはなりません。貢献することが好きでそこに自分の価値を見出しているような哲学的な人や、奉仕精神の高い人は稀です。

自分を成長させたい、技術を学びたいと思って入社した人でさえ、そこに自分の努力の反映がなければ、モチベーションがなくなります。

仕事において日本人のモチベーションはネットで調べれば以下のような情報が出てきます。

「私は、会社の成功のために、求められる以上の仕事をしたいと思う」という問いを投げかけても、グローバルでは実に78%の従業員が「非常にそう思う」と答えたのに対し、日本人従業員でそう答えたのは、半数を下回る49%に留まった。

社員が仕事を楽しんでいるならすでに効率的です。そこには活発なコミュニケーションがあり、モチベーションがある。しかし、仕事は仕事と割り切り、プライベートを充実させたい社員もいる。そのプライベートを拡充させることは会社には不可能である。

プライベートに関する意思決定のすべてを自分が握っているということが重要なのだと考えられます。

プライベートだとしても決定権を選べない場合はストレスです。

仕事でも決定権がある場合にはストレスを感じにくいのではないかと思います。(責任とのバランスが適度に取れている必要があるとは思いますが)

早く仕事を終らせる、それこそがプロだと思います。

評価も高いでしょう。しかしそれが基準化されてしまえば高い技術も評価されにくくなります。それが当たり前だと定義されてしまうからです。

早くテストを終わらせれば、早く帰れる。早く仕事を終わらせれば早く帰れる。成果で給料を上げることが難しいのであれば、成果で時間的自由を拡充してあげることが、効率化につながるのかもしれません。
















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