成長する人生

出来ないことができるようになる喜びを、より早く、より多く得られる人は幸福だと思う。

成長すると頑張るのが楽しくなる。楽しくなるとますます頑張れる。

成長するには実行が伴う、最初はしんどい。

なんでもそうだが、思っていたようにできなかったり、進まなかったりすると、途端に投げ出したくなる。

ここで投げ出すかどうかは、その人の経験による。

どういう経験かと言えば、工夫したり、やり方を変えていく中で、出来るようになったという経験である。

これが多いほど、困難な出来事に対しても、うまくいく方法があるはずだと感じることができ、投げ出さないようになる。

結果、多くの物事に対して意欲的に向き合える。

親の中には、子供が工夫していているのに我慢できなくて、こうした方がいいと、つい答えを与えてしまう。

だが、子供の教育に必要なのは過程である。

その過程において、実際に感じること、工夫する喜びを得ることがいかに重要か?

子供にとって世話を焼くというのは、大人が満足するだけで、その子供が大人になったときに弊害として出てしまうことが多い。

失敗が容認されているときに、多くの失敗を経験できていない者は、大人になってからうまく失敗できない。

失敗しない自分に自信を持っているので、失敗は自分という人間の自信を殺してしまうことになる。

だから、何もしない。

そうすれば失敗するということからは避けられる。

しんどいのを通り越したらその向こうには楽しさが待っている。その楽しさを知っている人間は世の中にほとんどいない。何故か?頑張った経験がないからだ。


なにも頑張るだけが人生じゃない。成功するだけが人生じゃない。

でも、成功する人生と、しない人生を選べるとしたら?

みんな成功する人生を選ぶはずだ。

成功の規模にもよるし、種類にもよる。

難病の新薬開発が成功の研究者もいれば、お金を稼いで、女性と多くの関係を持つことが至福の人もいる。

頑張る人生と頑張らない人生の2つを選べるなら、頑張る人生を選ぶべきだ。

老人になれば否でも頑張れない人生になる。

頑張っても先が見えているから、ほとんどの人は現状維持にとどまる。

老人の現状維持とは文字通り、つらいことを避け、安らかに最後を待つことである。

だから、頑張ったりしない。

頑張って何かを得ようとすれば、失うものがあることを知ってるのだ。

大事なのは、本音の欲求だ。なんのためにそれをするのか?そこがはっきりしていないと、どんな分野もマスターできない。

なんでもとりあえずやってみることで、何でもできる。

葛藤から逃げたら駄目だ。友達から誘われたけど、ほかにやりたいことがある。だったら友達を傷つけないような言い方をすればいい。
やりたいことを早く終わらせて会いに行く時間を作るとかな。そういう葛藤の中で、なんとか答えを見つけていくことで人は成長できる。
だけど、みんなそうするのが嫌なんだよな。ただ単に面倒だから。

でもその本能に従って生きていたら努力できない。努力は面倒なことだから。だから、自分にとっての苦しみを出来る限り楽しみに変えていくことが大事。


そうやって最後まで何かをやり切るというのは、かなりだいじなことなんだ。

殆どの人間は大好きなこと、やりたいことを最後までやりきれていない。だからずっと未練を持ちつづける。

でも最後までやりきったら、自然と次のスッテップに迎えるようになっている。

そして、山頂に立ったときにはじめてわかる。じぶんがくるべき道はこれだったと。
無駄な出来事なんて一つもなかった。この場所に来るために全部必要なことだったんだと。


夢はかならず叶う。

たとえ最初に望んだ形では無くとも、かならず叶う。
不安を感じているときは、夢が叶いかけているということ。
だから夢を追いかけた人間は、現実の壁にぶつかるということになる。

越えられない壁はほとんどない。

越えるための努力を拒否しているだけだ。

成功者の多くは成功を確信していると同時に、その成功のためには、困難が付きまとうことを覚悟するという。

その困難を覚悟していない者が、次々とそのレースから脱落していく。

努力とは大変で、時間がかかり、大事なことに集中していると、雑多なことに時間を奪われる。

手っ取り早い金儲けに逃げたくなる。

それでも、持続してきた者だけが、得られるものがある。

すぐに手に入れられるものは、すぐに手から離れてしまうのだ。

手に入れる過程が長ければ長いほど、その人自身の深みがます。

だからこそ、出来ないことに対して、いかに向き合うか?

そこに人間としての生きる姿勢が問われているように思う。


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