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紹介状先病院にて

~令和3年2月17日~

 かかりつけ医の紹介状と共に、事前予約済みだったけれど、移転後初、この病院に来た。

 ・AIDS妊婦受け入れ出産病院(1987年当時。後の高知市長となる松尾 徹人氏の加熱するメディア取材対応はハッと我が身を振り返させる一言が的確で個人特定を控えさせる内容で痛快だった)
 ・日本初の脳死臓器提供移植判定病院

 日本の医学史的には、わりと重要な病院だった。

 移転前は、父の生前のかかりつけ病院でもあり、原因不明の腹痛と病巣写らない痼で、緑内障で麻酔選択余地なく開腹し、母と私が夜間ER待合室で「大袈裟に叫びゆう」と事情を知らずに話していたら、腹部に刺さった竹の破片が周りの肉を膿疱化させて、レントゲン、エコー、CT、MRIに映らず、主治医を悩ませた謎の痼の原因だった。
 時折起こす肺炎も、父の喫煙者しか罹患しない小細胞癌発見もこの病院だったけれど、放射線治療機器交換中で転院し、生還後再びかかりつけ病院となり、認知症専門医師至急紹介状もこの病院だった。
 母方祖母が、心不全なのか?脳血栓が飛んだ位置なのか?自宅で嘔吐し、気分の悪さを訴えるも救急車を呼ぶ程でもないと言うので一般外来受診した時に、車椅子移動で長時間待合室で再び吐き気を訴え、看護師に伝えて容器に嘔吐した時には、年齢に応じた検査をせず、レントゲン程度だけで【十二指腸潰瘍疑い】診断だった。当時は、CT・MRIの機器設置は進んでも、映像診断技術を持った医師は少なく、何年か後に高知大学附属病院脳神経外科の森教授が画像診断技術向上目的の本を出版したとローカル紙報道される前だったのだから。
 その後、同居の母方祖母は、くも膜下出血で血縁者に本人の意志確認し無駄な延命を一方的に行うのは差し控え、自発呼吸と心臓が止まる迄の数日間お世話になった病院。
 私自身も不定愁訴で大昔かかり、母方祖母同様【十二指腸潰瘍疑い】原因不明診断。その後、カテーテル・アブレーション手術を受ける半年程前に、救急搬送されて「お母さん。(助からないと)覚悟しておいてください」と言われた病院。その時の気管挿入時についた傷が元で喉に良性腫瘍が出来て気道を塞ぎ、声も出せず不自由した病院。
 以降、風邪の時には喉の傷痕の関係もあり、耳鼻咽喉科受診。耳鼻咽喉科の両手を庇って顔面から転けた若手医師の方が鼻腔鏡(内視鏡の鼻バージョン)が巧く見立も確かだったが、研修医を指導している古参のハゲかかりヤブ医者は鼻腔鏡も下手過ぎて我慢しても『痛い』と反射的に叫ぶ位に酷く下手な上に「痛くない!」と勝手に言う上、自らの沽券に関わると思ったのか?「蓄膿症」誤診に『ただの後鼻漏です。家系に蓄膿症の者はいませんし、蓄膿症だと耳垢が粘りますが、耳垢は乾燥しています』と反論して更に「診断は医師がするものだ!(怒)」と言われて不必要なレントゲン・CT・MRI迄追加され『先生の誤診ですけれど不必要な検査を何故受けなければならないのですか?誤診だった場合不必要な検査費用は請求しないでくださいね』と静かに言って、静かに怒りながら一通り検査をした。
 結果、自分の体の不調は自分が一番知っているの典型的例で、研修医を従えて有頂天になり思い上がっていたハゲかかりヤブ医者が敗北宣言のように「後鼻漏でした」と声のトーンも落ちていたが『だから初めからそう言っていましたけれど?』と言って、看護師処置時に『研修医連れて浮かれて正確な診断は出来ない上に鼻腔鏡が出来る前の時代に医師免許取り、自らの技術力の研鑽をせず、患者の代わりに「痛くない(突っ込んでる医師は痛くないの当然)」というあの医師には、どんなに人手不足でも私の診察は未来永劫させないでください』とお願いし成就したが、誤診に伴う検査費用はちゃっかり請求された。
 この誤診医師と、母のかかりつけ医が全く同じ性分で、後発医療機器を使いこなしきれなていない自覚がなくて「胃カメラをしましょう」と患者を苦痛に陥れ、母が反射的に『痛いです』と言うと、即座に「痛くないです!(怒)」と言う人なので、母を内視鏡実験台にした事に因る内臓損傷とおぼしき不調が起きた初回で既に物凄く心配で
・かかりつけ医が医師免許取得した時には胃カメラはなかった技術なので勤務医師時代に、後進に技術向上のコツ等訊ける立場ではなかったであろうプライドの高さ
・勤務医時代を加えても明らかに絶対的な経験値が足りない
・今時の若手医師よりも遥かに下手
・クリニックの患者全員に胃カメラをしても絶対的に技術向上に繋がる患者数ではない
・レセプト請求の入金は、月末締め、翌月10日迄に国保連に請求し、2ヶ月後の入金なのでボーナス支給等を逆算し、少しでも高額請求可能なように資金繰りの一貫で胃カメラをしている可能性が高い
・胃カメラの検査を持ち出されたら、集団癌検診受診したとか上手い事言って断った方が良い
・隣の奥さんもかかりつけ医のクリニック胃カメラ受けて具合が悪くなったと後日聞く事になる
・断りきれなくなったら隠蔽される心配の無い総合病院内科に『家族の意向です』と言って、紹介状書いてもらうようにお願いする事
と、母の内視鏡実験台に因る内臓損傷とおぼしき不調は苦痛を強いる事なので、入れ知恵した。
話を元に戻そう。
 母自身、かかりつけ医が毎年「心雑音が気になる」と紹介状を書いては、受診し始めの1~2年は毎年診察だったものの、2~3年目辺りから、『2年おきで受診して』と言われて数回目の2年目数ヶ月前が、かかりつけ医が突然【心臓弁膜症】です宣告を受けた過の日だった。

 わりと、病院移転前は、我が家の家族の1名を除く、皆の人生に深く関わっていた病院だった。

 病院移転後の診察は初めてだった。というのも、父は故人になり、私は日曜市隣接出店者である元医療従事者の方のお子さんの感染症をよくもらっては想定外の感染症を飛沫感染やテント等設置什器経由の接触感染でもらう事に辟易して、新ビオフェルミンSを服薬するようになって、私自身の免疫力向上して余程でなければ罹患しなくなったからだ。
 コロナ禍で、駐車場に余裕があるものの、数年後にコロナ禍を抜けると駐車場は多分足りなくなるのだろうな。と、父の付き添いで移転前の混雑ぶりを知っているからこそ思い浮かんでしまう。
 適度な重厚感ある塗料を木材に塗った物を多用した内装と、南海震災対策であろう、一般家庭以上のショッピングモールの2F位の高さに設えた総合受付や会計や診察室や、発熱外来は、内装工事中に発生した新型コロナウィルス対策なのだろう、内科受付よりも南西門の端に設えられており、一般外来患者から見れば、完全隔離されている安心感があった。
 ただ、移転前の新館建設前から知っている人間には、待合室が壁色のせいなのか?実際には移転前の待合室の幅よりも狭くなっていて、心理的圧迫感を感じる幅を1Fからの吹き抜け構造で緩和を図っている仕組みだった。

 紹介状受付で、予約時間よりも小一時間早目に受付を済ませて、内科受付前で待ち、呼ばれてから、必要な検査を検査受付前で検査ファイルを機械にバーコードを自らかざし、個別検査を受ける迄の待ち時間は霧散していたけれど、近代化に対応出来ない若者や老人が機械の前で、前の患者さんに出た検尿カップが自身に出なくて、検査受付の人を呼ぶので、バーコード読み取り機械の使い方を覚える前に、検査受付で検査項目を読み上げて説明していない不親切さを感じた。
 CT、MRI、レントゲン、心エコー等、院内巡りのシステムは相変わらず。1Fにコンパクトに纏められていた。心臓弁膜症心エコー技術者等1人もいないのに、検査オーダーだけは立派に「心エコー」と書いていた。
 この病院の予約時間は、診察医師が検査検査を受け取り、ある程度診断できるようになって患者を診察室に呼べる状態になってはじめて「予約時間」であって、診察医師が混雑して患者を待たしても構わないシステムは相変わらず。
 内科受付で呼ばれる迄待つ。
 呼ばれて、診察室の場所の説明を受けてはじめて、招かれざる者が通っても開かない自動ドアが開き、また中で待つが、密回避可能な椅子間隔と、招かれた人数に対して十分な数の椅子が設置されて無くて困った。
 やっと呼ばれて診察室に入って椅子に座る。診察医師は、今迄のベテラン医師とは違う若手というには少し歳がいっている中堅というには少し早めな微妙な年齢。聴診器は首に掛けてはいたが、母の心音を聞く事はせず、滔々と患者を小馬鹿にした嘲笑の表情で持論を語る。
 「今は、70代、80代、下手したら90代も現役の時代ですから…」
と言いながら、母に十分理解できる内容ではなく、医学用語を多用していたので、循環器内科医としては平易な言葉で説明が出来ない経験値と理解力の他総合病院の新設ハートセンターへの招聘(ヘッドハンティング)すら受けられない上、致命的な患部誤診するヤブ医者だった。
 診断は
「心臓弁膜症で【僧帽弁】の石灰化が進んでいる」
と言って心エコーの画像を見せるが、素人目にはまだ十分機能しているように見える動きで、本当に患部なのか疑わしい位に元気な動きだった。
 矢継ぎ早にモニターに下町ロケットの人工弁の画像をチラリと映し
「手術で人工弁に変える事は可能です」
生体弁の画像は表示しなかった。
 母が娘の私の主治医だった信頼出来る人柄のK医師の名前を出すと
「K先生ね。知っていますよ」
と、この色ボケ婆達と嘲笑の表情が更に露骨に出る下衆の勘繰りな医師。
 母が
『服薬治療はありませんか?』
と尋ねると
「ありません」
とだけ答えるので
[初期に心臓弁膜症と分かっていたなら、服薬治療方法があったのではありませんか?]
と今迄の診断で、かかりつけ医同様に紹介状診断で2年後受診で良いと脈々と放置継承されて来た事等を、自分ではなく前任医師のせいだと言いたげに煙に巻いて逃げようとしていると感じる医師に訊くと
「初期ならば服薬治療で悪化を遅らせる事も出来ますが、石灰化が進んだ状態では服薬治療はありません」
と相手が年寄りだからと言って煙に巻いて逃げようとする上に、医師としてよりも人として最低な呪詛の言葉を発した。
 「兎に角、手術を希望しないならば、心不全や心臓発作で突然死するか、1年後にはトイレに行くのも這いながらいくようになるでしょう」
 この言葉が後々母の心を蝕み、引きこもりがちになるきっかけになってしまった。
 母は返す言葉が浮かばず唖然呆然となっていた。私はカチンと来たので
[でも先生。こちらの病院では手術は出来ませんよね?ハートセンターのある病院に紹介状を書かないと手術を受けられないのなら、こちらの病院を受診する必要性はなかったのではありませんか?]
と医師の今迄の嘲笑がサッと消え失せる一言を、悪意に対抗して母の尊厳を守る為に【貴方が循環器内科医としてこの病院に居ても手術等のスキルはここに居れば永遠に磨けないのよ】と意図的に言外に普段差し控えている人を傷付ける言葉を放った。
「ええ、医療センターと近森病院にしかハートセンターはありませんので、その2軒になります」
と悔し気に認めたが、底意地の悪さなのか?ハートセンター病院に紹介状を書くという提案は出ず診察室を出た。
 そもそも、この医師は新聞を読んですらいない事も、実績はまだないけれど、ハートセンターが出来たと一面広告で出ていた病院名が出て来ないので、井の中の蛙だなぁと思った。
 会計を済ませて、病院内の食堂で早目の昼食をとりながら、母はあんな失礼な医師よりもK先生に診て欲しいと悔しがりながら言うので、林檎の名産地に通えない現実問題を伝え、かかりつけ医がハートセンター病院への紹介状を書かなかった事から、母もかかりつけ医がハートセンターのある近森病院に紹介状を書いてくれるとは思わないと思っていたので、レセプト請求で同じ病名で同じ月に紹介状無しで受診すると片方の病院には健康保険医療費支給対象外になり迷惑をかけるので、月が変わったら直ぐに飛込みで受診しようと提案すると、母も同意した。
 飛込みの受診もきっと迷惑なんだろうけれど。

 兄に受診結果を伝えると、医師の呪詛の言葉で手術に乗り気ではなかった母も、兄も私も手術で治せる病ならば手術を受けて欲しいと思っていると母に伝えた。
 それ以外にも、父の従兄弟の息子が叔父の老後の世話を申し出て、私達家族が相続権放棄した書類迄準備済みだといった話が親戚から聞こえて来たので、叔父の住まいや車庫の土地を父名義から叔父名義に贈与した父の遺志とは違う結果になっていて、父の言葉の代弁者としても生きていてもらわなければ困るという現実的な問題があるからだ。その家土地を相続しても、私個人は正直困るけれど、 有印私文書偽造などされても困るのだ。


~参考記事~
HIVの倫理と生命倫理学会―名誉会員・樽井正義先生に聞く
松尾徹人
日本の臓器移植の歴史




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