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ラジオの話


私が小学校三年生くらいの頃から、どういうわけか冬になると、毎年うちのテレビは調子が悪くなるようになってしまった。

なぜあんなふうになってしまったのかはわからないけど、12月〜2月の間、特に夜の寒い時間になると画面の大半が砂嵐で覆われてしまうのだ。

もちろん、そんな有様だったから番組なんて見れたもんじゃなかったけど、テレビっ子の私と妹は、ブラウン管に耳をくっつけ、ノイズ音に混じり、かすかに聞こえる楽しそうな笑い声なんかを必死で聞いたりしたものだ。

大晦日の夜も、お正月の朝も例外ではなかった。
かすかな希望を胸にテレビの電源ボタンを押すも虚しく、砂嵐が映し出されるブラウン管テレビの両脇に耳を押し当て、笑っている少女二人。
親の目にはどんなふうに映っていただろう…。

私が親だったら切なくて見てらんないね。

そんな冬を2度過ごし、3度目の冬が直前に迫った小学校5年生の誕生日。
私は元々音楽を聴くことが好きだったこともあり、両親からラジカセをプレゼントでもらった。

我が家は就寝時間に対してとても厳しく、遅くとも22時までには自分の部屋の電気を消していないといけなかった。
歯を磨きながら見る、「レインボー発」がなんとも言えぬ寂しさを助長させる。
本当はもっと夜更かしをして、テレビを見たい!感じたい!(私はテレビを通して東京を感じていた田舎娘なのである)
と、常々考えていた私が、寝室にラジカセを持ち込み、窓を開け、暗くなった空へアンテナを伸ばすようになるまで、時間はかからなかった。

最初は夜更かしのお供だったが、次第にラジカセの活動範囲は広がり、気がついたらブラウン管に耳を押し当てている妹の隣でラジオを聴くようにまでなった。

住まいは神奈川だったけど、山に囲まれて過ごしていたから、FMヨコハマしか受信できなかったが、「ラジオはテレビよりも、視聴者との距離感が近いのがいいな」と、小学生ながらにもうっすらと感じ、熱狂した。

気がついたらFAXでお便りを送る、アンテナを調整する、ラジオパーソナリティを家に呼ぶ、アンテナをちょっと伸ばし、またFAXを送る…。
次第に一家を巻き込んで、我が家は空前のラジオブーム。

家族でラジカセを囲んで、ああじゃないこうじゃないと話していた私たち家族は、側から見たら平成とは思えない光景だったに違いない。

この生活は、私が高校生になり、遅めのスマホを手にするまで続いた。
ラジコの出現である。
東京発のおしゃれなラジオ番組に私はすぐ虜になった。

スマホでラジオが簡単に、そしてクリアに聞ける。
煩わしいアンテナ調整もなく、どこでも身軽に携帯とイヤホンさえあればラジオが聞けた。


家族でラジオを聴く時間は車だけになり、次第に家族間でラジオの話をすることも無くなった。


私は今でもラジオを聴く。


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