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ジョン・ウィック コンセクエンスを観た

 見るべきところは随所にあるが私には合わないな、というのが最終的な結論だった。面白い人は面白いんだろうと思う。クオリティはすこぶる高いので、多分誰でも楽しめるはずだ。

 ヴィジランテもの、復讐ものとして、乾きひりついた色彩感覚で成功したのが第一作だ。劇中世界の裏社会を示すのはコンチネンタル・ニューヨークのコンシェルジュに差し出される一枚の金貨、そして哀れミズ・パーキンスの死にざまくらい。主人公の拳銃はH&K、愛車はマスタングだ。犬は死ぬ。

 主席連合なる組織の存在が示され、誓印、電話交換手だの(マトリックスめいて)古ぼけたコンピュータ仕掛けだのを介して公示される暗殺依頼、世界中に存在するコンチネンタル・ホテルといった世界観がが示されるのがチャプター2。武器ソムリエがタランのグロック、ベネリとARをジョンに勧め、ケヴラー使用の防弾スーツをテイラーで誂える。前作の金貨でちらっと明かされた裏社会、こういう感じの路線で行くんだなというのがはっきりわかるのがローマのシーンで、冒頭のマスタングを取り戻すあたりとの対比が鮮やかだ。本来ジョンはこっち側で、タラソフ・ファミリーなんかは前座とか裏社会の玄関口とかだったんだな、という。ちなみに犬は無事だ。

 チャプター3では冒頭から雑魚戦が始まるが、馬上戦闘やら斧やら古風なリヴォルヴァーやらをここに持ってくるのが面白い。まるで主席連合絡みのあれやこれやに向けて、観客を埃臭さに慣れさせたいようだ。ジョンの古巣、ルスカ・ロマとか、裁定人、謎のハゲ・ゼロとかきゃりーぱみゅぱみゅとかをちらっと出したりで主席連合の存在感がやにわに増す。モロッコ・カサブランカを経て砂漠のどこかにて会う首領、これは本人が仄めかす通り暗殺教団との垂直的な繋がりが窺える。左手薬指を切断するあたりが露骨だ。次作でもこの欠損がシンボリックに示される。よりによって暗殺者をサポートする裏社会が全世界的に敷かれているというのは面白くないが、チャプター2以降に通底するゲーム的な大仰さを考えると納得もいくか。ジョンはTTIのコンバットマスターを手にするが、前作終盤でバワリー・キングに与えられたキンバーとの対比がいい。一方で次作ではそのバワリーがジョンにピット・ヴァイパーを手渡す。こうして装備をアップグレードさせるのも、全身に装甲を施した主席連合の部隊が上級雑魚としてコンチネンタル・ニューヨークに現れるのもまたRPGっぽいといえる。犬は無事。撃たれたのに。

 そして第四作だ。バワリー・キングが朗々と読み上げるのは『地獄篇』の一節。一切の望みを捨てよ、とはジョンに対峙する悪役のみならずスクリーンを見つめる我々へこそ投げかけられているようにも思う。冒頭からジョンは馬でのチェイスを経て次代の首領を撃ち殺すが、この軽率で無意味な死がちゃんとイヴェントフラグとして機能しているのが嬉しい。コンチネンタル・ニューヨークは聖域解除された挙句に爆破されるが、ここでひっくり返される砂時計も前作、前々作同様の目印だ。こういう古めかしいのは主席連合がらみのあれですよという。コンシェルジュのシャロンは早々に撃ち殺されるが、グラモン侯のヴィランぽさを強調するために消費されたっぽくてもやもやする。直前のウィンストンとシャロンの会話に出てくる義賊の言葉、”Such is life.”を切り口に、この物語は強大な権力者と自由を求めるものの戦いであるというのを存分に示してくる。その権力者であるところのグラモン侯、作品を通して悪辣かつ卑怯なキャラクター設計なのはわかるのだが、そのためにメインキャラ一人を消費するあたり、チャプター2のサンティーノとの格の違いを見せつけてくる。前々作と同様、友人同士の殺し合いが強いられ、無数の殺し屋を差し向けられるジョンの明日はどっちだ!というメインストリームとは別に、ウィンストンに降りかかる苦境が、シリーズのスピリットはやはりニューヨークにあるのだと示している。
 トンチキ日本としては剣豪・真田広之、忍者・リナ・サワヤマ、座頭市・ドニー・イェン、鎧ペイントの上級雑魚、桜とジャパニーズウィスキーとネオンビカビカの大阪が印象深い。堪能しました。コンチネンタル・オオサカのアクションシーンで興味深いのはジョンと主席連合のスーツ組が見せる、左前見頃を持ち上げて上半身を防護するテクニックだろう。現実世界には存在しない防弾スーツというアイテムを使った独特なタクティカル・テクニック、こいつがこの世界観に血を通わせているようにも思える。だがドニー・イェンがいちいちコメディカルな動きをするのはやはり雑味っぽい。全体的にシリアスな中で一人だけ厨房で蕎麦啜ったりグルグルパンチされるのは困る。盲者っていう設定で普通に銃を撃つの、やっぱり困惑とかが先に来て没入体験が損なわれる気がする。
 で、ベルリン、パリと舞台が入れ替わるのだが、音楽とか画面のカラーパレットとかがずいぶん違うのでかなり場面転換は把握しやすかったし、気分をガラッと変えた上で楽しめた。ベルリンは第一作以来のなんか乾いててシックでクラブもあって……みたいな中で巨漢に対して復讐を遂げるのだけど、ポーカーを挟むあたりがなんだかおかしみがある。どこかスパイ映画っぽさもある。凱旋門でのカーチェイスといえば『ミッション・インポッシブル:フォールアウト』だろうか。こっちは時間は夜明け前で、敵味方ともバンバン撃ち合ってるとまた違った感触があるし、なんならジョンはさっきからこの先まで予定びっしりだ。映画終盤の濃密な緊張感とともに楽しめた。
 逃げ込んだ廃屋での屋内戦、カメラがヌルヌル上昇したかと思うと俯瞰視点に切り替わるここもチャプター2から通底するゲームっぽさの延長だろうか。ジョンが敵から奪ったマガジン式のショットガンでドラゴンブレス弾をバンバン撃つ。ジョン・ウィック世界の実力者って背中に目ぇ付いてるのかってくらい一対多のCQCに強いんだけど、CQBで強さを描写しようとするとこうなるんだなと。ミスター・ノーバディは犬を救われてあっさり翻意する。ここもニヤッとするポイントだ。そもそも大阪で敵対してるのに助けられたのを(もうちょい賞金を吊り上げたいという意図で)、ここで貸し借りチャラにするのはアツい。
 サクレ・クールではクソ長い階段を見上げてうんざり顔のジョンの眼前に雑魚がずらり。一度は蹴り落とされてゼロから登り直すジョンの元へ座頭市がやってくるのはかなりいい。二人とも後で決闘させられる羽目になるというのに、美しい友情である。ここでもどこかゲーム的というか、むしろジオラマ写真的な質感の映像に疑問がある。ていうか残弾ゼロだからって解体したピット・ヴァイパーのフレームで敵を刺殺していくジョン、敵からはずいぶん恐ろしげに見えるものだ。あとドニーがカフェを立つとき懐に鉛筆を忍ばせていったのもだけど、こういう手近なものを使ってでも敵を殺すみたいなサヴァイヴァビリティがいい。アクションに切れ目がないし、むしろトルクを増して驀進していくから気分爽快だ。
 最後の決闘でウィンストンが見せる『バカめ……ジョンはまだ撃っていないぜ!!!!』っていうギミック解説仕草は実にいい。それであっさりグラモン侯が死ぬんだから、サンティーノともどもああいうキャラはこう死ぬってルールがはっきりしている安心感がある。
 犬は無事だ。

 さて、2030年クリスマス頃に修理が終わるマスタングを引き取れるでもなく、完璧にクレヴァーなかたちで決闘に勝利できたのにあっさりおっ死んだジョン・ウィック! しかも愛娘を迎えに行くドニーは放置したイヴェントフラグのせいで絶体絶命! これでどうしてハッピーエンドと言えよう?
 実のところ、ジョンの物語は渋みこそあるが平穏に終わったとも思える。愛する妻ヘレンが死に、仔犬に慰められるジョンは半ば死んでいたようなもので、一つのサーガが終わる時にはジョンもまた正しく死んでいなければならなかったからだ。第一作の車泥棒と仔犬の死はイレギュラーで、連鎖的に起こった事態の拡大は決してジョンがビッグになるための花道ではない。この道程で、ジョンは死に場所を求めるかのように壮絶に死地を通り過ぎてきた。雑魚にやられるでも、主席連合のふざけた面子にやられるのでもなく。それはジョンを狂犬とかババヤガとしてではなくLoving husbandとして死なせるためで、だから決闘を通じて彼は主席連合への義務から解放される必要があったし、決闘に勝ち、直後に死ぬべきだったのだ。チャプター2でサンティーノを撃ち殺し、コンセクエンス序盤で無意味に首領を撃ち殺す荒んだジョンはさながら死の天使、立ち寄るところ全てに死をもたらす存在のごとしだ。そんなジョンはもう見たくなかったし、合計で何百人も殺したジョンが銃と金貨を三度コンクリに埋め、ピットブルを侍らせてマスタングを転がす姿はもっと見たくない。結局のところジョン・ウィックの本質はここにあるのだと思う。彼には死以外の平穏などあるはずもないのだ。そして彼は見事にそれを勝ち取った。

 でもやっぱりノワールなアクションものとしては2014年の第一作だけでよかったよなあと常々思っている。同年のイコライザーも今年で完結するが、私にとってはこちらの方がずっと好みだ。“冴えないおっさんが最強の暗殺者”もので、寡黙なおじさんで、一対多の近接戦闘を危なげなくこなす。21世紀のヴィジランテ映画はこうでなくては。

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