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赦せない人を赦せるって本当?お答えします

はじめに注意点

この note は何が何でも無条件で人を赦さなければいけない、ということを主張するものではないです。

あなたが他者を赦すことによりこの世界を創造した神であるアドナーイもあなたのことを赦す、というイエスの教えがあるため本来であれば赦せない人でも赦した方がいいと言えます。

そうは言っても赦すということは一筋縄でできることではないです。どうしても人を赦すことができない状況も存在します。
しかし、赦せないと思う対象でも赦すことはできます。この note は赦せない人を赦す方法と、赦すことによって生じる心の解放について説明します。

「赦せない」の正体は「貸がある」という思い

大雨になってキャンプを仕方なく中止したからといって「赦せない!」と激怒する人はいないと思います。その手の自然現象はよく起こるものであり、そのことに対して「貸がある」とは誰も思いません。

「赦せない」と誰かに対して思うのは、その赦せない対象が然るべき賠償や謝罪をしていない、すなわちその対象に対して貸がある状態だからです。

そして「貸がある」という思いは今お話した以外のことが原因でも生じてきます。

「貸がある」と感じるのは「適切な反撃ができなかった」と思うから

自分に害を与えた人を無条件で何も葛藤もなく心から赦すことができる人はまずいないでしょう。人がそんなに簡単に他者を赦すことができるとは考えられません。

その赦せない対象が何も謝罪などをしなかったとしても、自分が十分に反撃をしていたとしたら「その件は清算した」と思うことができます。自分もやり返してやったら納得がいくので「貸がある」と思わないからです。

そうは言っても毎回毎回確実にきっちりやり返す、ということは難しいです。それにやり返したいけど今更どうしようもない、ということもあるはずです。その状況での対処法もお話します。

「やり返せなかった自分も自分!」という自己受容が赦しにつながる

あのとき何でバシッと言い返してやれなかったんだろう!」と自分を責めるのは苛立ちしか生みません。それはまさに「やり返せなかった当時の自分」に貸があるという状態です。そうは言ってもその手の思いは自然と湧き起こるものなので、無理に止めるのも難しいです。

しかしながら「やり返せなかった自分」にも貸がある状態は「やり返せなかった自分を受け止める」ことにより脱却することができます。

「あのときは『何も言わないほうがいい』と判断したかもしれないし、相手を思いやってあえて反撃しなかったかもしれない。やり返せなかった自分も自分しなやかに対応した自分も自分!」とありのままの自分を受け止め、そのときの自分の選択を否定しないことが心の解放に繋がります。

自分自身を非難し否定し続けたら苛立ちや不快感は消えません。過去に起きてしまったことを変えることはできないけれど、そのときの自分をありのままに受け止めることは今この瞬間でもできます。

「やり返せなかった」ことは確かに嫌だと思うことがあっても、「やり返さない」ことが功をなすはしばしばあります。

自分自身の当時の選択を無理やり肯定したりするのではなく、「失敗した自分も自分」とありのままの自分を否定なしで観察し、受け止めることが自分自身を赦すことです。

自分自身を赦すことが他者を赦すことに繋がります。逆に自分自身を赦すことができなければ他者を赦すことは至難の業です。なぜなら自分に対する態度が他者の態度に直結するからです。

いつもイライラしていて周りに八つ当たりし攻撃的な人というのは、自分自身に対して苛立ち自分自身を攻撃したいと思っているのです。
逆に、自分自身を大切に扱い、むやみやたらに自分自身を否定するのではなく自己受容している人は他者に対して攻撃的になりません。

自分の気持ちを押し殺して誰かを赦したと思っても、どこかで自分の心に歪みが生じます。

人間の力では他者を赦すことはできない。だからこそ祈りによって赦すことを手伝ってもらうという方法もあります。

この note を読んでくれた人で、誰かを赦すことができない人がいるとしたら、
それがあなたなんだったら、
あなたのために祈ります。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

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