【日記】 21/3/7 褒めて伸ばす派だが、厳しい指導をすることについて一概に否定出来ない

3/7 今日の曲

こういう曲やってみたいなって思ったので今日の曲はこれです。

以下日記

転職先の口コミ投稿を見つけたんですが、パワハラで鬱になって5年越しにそのことについて投稿されてまして。

パワハラな発言が行われた起点や具体的なパワハラの内容(それで傷ついてるわけですから書きたくない気持ちはわかりますが・・・)が記されていないので、どちらがきっかけでパワハラが発生したのかが不明で判断材料に欠けてるんですよね。

僕も学生時代、同じミスばっかして助教(僕に「お前の考えで科学したら人が死ぬ」と言ってきた人です)に何度も注意されて、そのたびに恐怖してたらあっという間に病んでしまった過去があるのですが、原因は何度指摘されても改善を出来なかった自分なんですよね。

いざ教える立場に一度でもなってみると、何度も同じことを注意するのって結構ストレスに感じて、精神的に消耗するということがわかるようになったので、当時何度も注意してくれて、しかもかなりの勢いをもって暴言でない中立的な物言いで注意してくれた助教はすごくありがたい存在だったんだなと感じています。

僕の場合、3度も同じミスをしてこられたらもう今までと同じような扱いはせず、仕事を渡さないようになってしまうだろうなと思うので、一概に厳しく指導する人を責めることに懐疑的だったりします。

1番の理想は、何度も同じミスをしても、キレないで注意することですが、上記の助教は激怒した注意をしないモットーで人を教える人だったにも関わらず僕の不出来さにとうとうブチ切れ散らかすようになってしまったので、この理想を持って指導すると、多分指導者側が病んじゃうと思います。

今は誰もが自分を一人称で自由に発言できる一方で、精度の低い情報が多くなったためにどれが正解を言っているのかが判断しづらくもなってしまって、ますます自分の経験が判断材料になってくるようになったなと最近思います。

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